この記事は、数日前のことだ
今朝2時の気づき
お釈迦様は教えていたんじゃない
自分に語ってたんだ
悟りの境地に近づくと、「人の為」が面倒になる
人の為に動くことはエネルギーがいるからだ。
レベルの違いがあればあるほど
その人びとに対してしんどくなる。
為にならなければ、ならない人がいる事は、
実に人間臭い。
居心地いい関係で、環境で生活していて、自発的マイナスカルマと外発的プラスカルマを、スムーズに循環できていれば、誰の為と言う行動は不要になるはずだ。
全ては1つワンネスだと、身も心も一致しているならば、なおさらだ
教える、悟らせる…なんて思うまい、私はアナタでアナタは私なのだから
お釈迦様は(自分)に語っていたのだ 悟りを。
弟子は教えと思っただけで、
弟子のつまずきは、自分のつまずきだからと
『そうだよねぇ こういうこともあったよねぇ』
っってな感じで回想していただけにちがいない。
人の為になるために生まれた人間は
為になる行動を、馬鹿馬鹿しく思い、
いずれ、人の為とも思わない循環システムの境地にいけるのだろうか?
そこを越えて行かなければ、宇宙の統合はなし獲ない。
宇宙は空を悟れない。
宇宙全体の幸せMAXは、この境地に全ての人間が立ったときなのかもしれない。
やはり、今からでも
自分のやりたいことをするべきだ。
つづき