くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

悟り/深く知ると孤独になる幸せ。

この世で愛と呼ばれる

この言葉も

人の為と呼ばれる

この言葉も

 

私は好きではない。

 

 

愛と呼ばれる感情は

言葉の重みの「ふりはば」が大きくて

誤解を受けやすいから。

時々、間違った「愛」を言う人もいる…

 

しかし

言葉から受ける個々の認識を度外視しても

愛は愛なのだ。

 

自己愛があってのこと。

 

 

 

しかし、悟りには一定の愛の質が必要だ

 

 

感情を深く知れば知るだけ

質を上げればあげるだけ

 

 

人は迷走することになる。

これは人間と、目に見えない存在との

いや、次元と次元以上の差で、

乗り越える必要があること。

 

 

なぜ人が迷走するかと言うと、

拠り所を減らす事になるからだ。

 

信じて進む目印が減るとでも言うのだろうか。

境界線がどんどん減り

ぼやけてくる。

 

信じているもの

願っていたもの

思い込んでいたもの

などの境がなくなる。

認識が変わるから。

 

 

一歩づつ

己しか無い世界に入る。

それが悟り

 

己しかない世界で、孤独と思いきや

人は孤独でないことに気づく

幸せなのだ。

命で溢れていることに気づくから。

 

孤独と思っているのは他者であって

人間が作った囚われた感情と言葉なのだ。

 

宇宙の矛盾は人間が作った言葉によって

惑わされて来たからこそ起こる。

 

 

 

何度も言うよ。

全ては自分だと言うことを。

なりたい自分に、なりたいのなら。

まずは自分を知ること。

 

 

 

 

私は体験したことしか言えない。

体験と経験した話が重要だと思うから。

それは、この世に存在する全ての命に

訪れる過程であるから。

 

 

体験をして腑に落とすを、

なんども繰り返す。

何度も何度も何度も

それが

 

魂の話となる。

 

 

 

 

 

 

 

追記

 

孤独と言う言葉が

寂しいと言う言葉と結び付いてしまったから

宇宙に矛盾が生じる

 

人間の固定観念

 

孤独とは 自分ぼっちは本来寂しくはない

この世は命に溢れているし、

自分の相談相手は、自分が連れてきているからだ。

(目には見えないけど)

 

自分が自分らしく満ちあふれて行動できていれば、

独りだろうが関係無いはず。

 

して、

源は、分離をもって

孤独と依存、安心と楽、認識と誤認

などを産み出した。

 

それをどこまで統合するのだろう。

私の肉体はどこまで見届けられるだろう。

 

一点の光となり

宇宙が宇宙を解脱する事は可能なのだろうか。