人は
向き合おう!
この事について深く知りたい!
間違っているのかも?
私はどーしたらいいんだろう?
と、
モノゴトにガチッと
向き合う気持ちにならなければ、
何を言っても
どう説明しても
どう気づきを得れるかと考えても
聞く耳を持たない。
魂に響かない
ただの議論で終わる。
普通は、その人その人の
経験や体験に照らし合わせながら
腑に落ちやすいように
話し合いを行うつもりだが、
やっぱり、ガチッと向き合う気持ちに
ハマらないと、
または、話のしかたが合わないと、
「貴方はそう言う考えで、私は違う」
と言うように
今までに納得し、落ち着いてしまう。
自分自身が苦しい今を納得して、
「受け入れている」事には気づいてもらえる。
話し合った中で得た気づき。
小さい気づきがどこかにひっかっかって
居てくれば……と思う。
(これは願い?エゴ?)
そう言う小さい気づきを
いくつも、いくつも
積み重ねて、「ドスーン」と
腑に落とすこと。
自分でコツコツ、
気づき集めをしなければ、
ならない事にも気づく日がくる。
そこまで行けば、
自分で築き上げる
レールに乗ったようなもの。
後は、魂の声に従うのみ。
思考を180度変えることは
昭和の呪縛を生きた人に
簡単なことは無い。
しかし、ヒントや方程式の様に
気づき方の教えを受けて
効率良く気づく事はできる。
それは、
外側
⭐自分より少し「意識が高い」と思う人と話をする事
⭐良い師(指導者、相談相手)と縁をもつこと
内側
⭐自分を許すこと
今までとは違ったフィールドにご縁を持つことは
自分の感性や考え方に刺激を与えて
広がりをもたらせてくれると考えています。
また、自分を許すとは、
自分のデキナイを理解する事
それは、前回の謙虚と言う話にも繋がる
人は自分が何者かを知りたがり
自分はデキルと過剰に思い込もうとする癖がある
「暗示のように」
自分はデキル 自分は素晴らしい
自分は間違ってない などと、
自分に疑いを持ちながら、
正しく理解のないままに迷走している。
自分に疑いを持っていたら意味がない。
疑うから確かめたい ではなく
自分を許す
受け入れるを正しく受け入れる
何者かではなく、これが自分なのだと
「気づく」こと
これはとても大きな一歩になる。
自分を信じてほしい。