くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

不本意ながら世の流れに乗らなければならない事もある。

悟った人は、時々理解できない事を云う。

それは、厳しく聞こえたり、冷たく聞こえたり、

親切心の欠片もなく聞こえるかもしれない。

見えるかもしれない。

それは、一般的とされる視点から

物事をみているわけではないので、

発想や発言が異なるからなのです。

 

それは、視座が高いも低いも同じ

 

見ている高さとか、場所とか、

着目しているモノや向きが

違う事と同じ。

山から田畑を見るのと

田畑から田畑を見るのでは、見えてくるものが変わるでしょ。

どちらがイイとか悪いのではなく。

 

そして、日々の個人個人の気づきは

その人の気づきであり(小我)

大衆が、全人類の真なる尊重とエネルギーを同じ考え方で捉えて、

受け入れる事の出来る気づきとは異なります。(大我)

 

小我を積み重ね、大我を腑に落とす事が

悟りに一番の近道だと思います。

(実践できるかとかそういう事は置いといて、理解する事が一歩)

地球人類が大我を受け入れる事が出来た時

本当の意味で、地球人が宇宙の仲間入りを果たせる。

 

 

人の意見と言う発せられた言葉の車列に一喜一憂するのではなく、

「その人は何をつたえたいのだろう」と

相手の立ち位置に自分を投影する必要もあるのです。

それは、他人軸とは違います。

相手の立ってる視座(位置) 視野 視点を確認する作業です。

この作業は己の位置確認もでき、相手の理解にも務まるのです。

 

相手から発せられた言葉の文脈の中で、

視座(位置)も視野も視点も 最初とは変わった発言があったりします。

言葉を発してる本人も、自分の感情には気が付かづに、

迷走した言葉を発していることもある。

真意でない言葉と言う事もある。

その事を理解して、

揚げ足とるような会話にはせずに聞いてみる。

相手は、

『これを伝えたい』という思いがあるから話すのです。

『これ』を理解して聞いてみれば、相手の道理なのでしょうと

納得する事が出来る事もありますし、

相手との相違点を明確にすることが出来るので、

腹が立ちません、不安になる事もありません

 

しかし、言葉にはエネルギーが乗るので、言葉を発する方も

その事は認識しておいた方が賢明だと思います。

 

 

人間関係を、根底から切り離した生活は、

ほぼほぼ無理なのです。

自分で人間関係を断ち切るという人は、

人類の中に記憶を残さないという事。

 

無人島や山奥で生きる他ならないですね。

 

人間の唯一の自由「選択、行動、+伝達」を駆使し

自分の居心地いいにシフトする。

それが自由となるのです。

そして、人間関係においても、「居心地いい」

を自分で作っていくしかないのです。

 

 

時として、相手の立ち位置に立ち考える作業も必要

なのは自分の居心地いいの為。

それは、他人軸ではないのです。

自分の意とは反して、相手の意見に流されてしまうのは他人軸です。

視座、視野、視点の確認は他人軸ではない。

他人がある以上、この作業はおろそかにできないのが今の世です。

自分の考えに近い人とつながり、居心地いいを開拓していく

事は理にかなっている訳です。

 

 

 

悟った人は、この視座、視野、視点が大我の域に達しているので、

一般的常識や、一般的モラルも理解しています。

物事の表現や解釈が、間違っていると思っても、 

矛盾していると思っても、

無理に押し通す事はしません。

相手の立ち位置が分かるからです。

それもまた、他人軸と言う事ではありませんし、

自分軸がない と言う事でもないのです。

 

対他人から逃れられない世の中で、

世の流れに飲み込まれずに

世の中の流れを読み解き、

世の中の観念や概念の変化に沿って、

自分の居心地いいにシフトするのは自分も守り、

相手も守る事になるのです。

 

何でもない話で、

自分の意見を言う事も、相手にとって強要となることも

話し方や表現によって変わります。

相手の立ち位置を確認して表現できるといいですね。

 

己の信念や意見を通す事にリスクがある事を承知する事です。

 

それだけ、この世の中は複雑で入り組んでいるのですね。