おはようございます。
2020年12月21日は冬至
しかも、木星と土星が接近する星の配置
20年に一度の通常よりも、さらに接近するようで
約400年に一度なのだとか。
とても貴重だったのね。
差が0.1度という超接近は22日だったようですね。
23日今朝、天体アプリで確認したころはまだ重なって見えました。
軌道が太陽ともそろっていました。(場所は埼玉秩父午前7時ころ)
天王星も近くにあるのですね。
基本的にあまり意識していない星の動き。
空を見るのは大好き。
知的に観察してみるのもイイかもです。
冬の空は一段とキレイです。
21日の
そんな日を私は⤵な感じで、やる気もでず。
グダグダとすごしておりました。
ちょうど19時頃が一番調子悪くていましたら。
その頃が星の位置が近くなりだした頃のようで
天体の動きに影響されていました。
21時頃になると体調も回復したので、
記事も書き出しブログの更新をした次第です。
冬至を過ぎると陰の氣→陽の氣へ向かいます。
天体も人間も、暦(時間)も 全て影響し合っている
意味があるのだと感心する。
今日は、先日からいらっしゃる
毘盧遮那如来様のはなし。
前にもお話しましたが、また存在を感じております。
語られる訳でもなく、いらっしゃる。
毘盧遮那如来は、大日如来と同一視されます。
同じ宇宙を表す仏です。
毘盧遮那如来から大日如来へ進化している訳ですが、
違いは何かと申しますと、役割です。
神も仏も高次元の存在は役割分担をきっちり行います。
得意な事しかしません。
神様の方が事細かく役割分担をするので、八百万の神と言うくらい沢山神様がいらっしゃるわけですね。
私の感じる毘盧遮那如来は
森羅万象 宇宙のすべてを表す仏 目に見えるモノも見えないモノも遠い真っ暗闇の宇宙の果ても、身近な人も山も宇宙人も、遠い一人ぼっちの人も海も異星人も、幽霊も悪霊も悪魔も畜生も全部を含むエネルギーを表す仏です。
そこから、個たる固有名詞で表され、形となり意識を感じ、意思が芽生え、個として自立した存在のすべてを創り出した仏が大日如来です。
だから、大日如来が他の仏を創り出したと言う事になるのです。
阿弥陀如来の弟子なのに(笑)
不思議に感じていた人いません?
仏も神も、形(姿)が見える、見えない、あるない にこだわりがなく。
もともとは「こういう感じ」と言うイメージは固定されていないモノでした。
それを、人型ヒューマノイドが誕生してから、交流するのに統一意識(固定イメージ)があった方が便利だからと、大日如来がお働きになり、阿弥陀如来と言えばこんな感じ、釈迦如来はこんな感じ、(天照大御神はこんな感じ、大国主はこんな感じ)
など、イメージが創り上げられるようになったのですよね。
簡単に言うと。
形の無いエネルギーだった意識が、形を創り上げる事が出来たのは大日如来のお力と言うことです。
毘盧遮那如来は、形のあるない関係なしにエネルギーを司る仏であり、大日如来はその形ないエネルギーに形を与えた仏と言うこと。悪く言えば枠を設けたわけですが、枠があるからこそ他者との意識を統一出来た(拡張した)ともいえるのです。
エネルギー変換器のような役割とでも言いましょうか。
なので、どちらも同じ宇宙の真理の仏となるのです。
神様でたとえると、
大日如来はアマテラスオオミカミ 毘盧遮那如来はアメノミナカヌシ
という感じでしょうか。
その毘盧遮那仏様を再度感じるとはどういうことか?
ですが、
前回は確か8月くらいでした。推測すると、
エネルギー変容があるのだろうな とおもいます。
1月からまた動き出しそうですね。
おまけ
変化や拡張は感じたときがタイミング
人それぞれ
望めば
いつでも移行できる。
あせるな。
焦ると言う事は他人軸と言うこと。
自分時間でよい。自分を観よ感じよ。
コツコツ、楽しめばいい。
遅いとか、この時じゃなきゃとか
乗り遅れるとか、閉まるとか、
無いから。
そんなこと言ってるようじゃ、他人軸なんよ。
それは、イベント事なだけ。
そういう事もまるっと楽しもう。