くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

依存からの自己顕示欲

他者承認欲求と自己承認欲求が満たされると、『自分は求められている』『自分は役に立つ』『自分は素晴らしい』と言う自己肯定感が上がります。

これは、思考の闇深い罠です。

この罠に気が付くには自分を内観し、どこの時点で他者視点に切り替わるかの、『思考の癖』を知る事です。

 

 

他者承認欲求は他者により欲求をみたし自己肯定感をえる、思考の罠についてです。

これは、自己顕示欲とも言い換えることが出来るとも思います。

 

注意として

医療、看護、介護、保護、教育など相互的に利害一致ある仕事や立場で活躍されている人が全員そうかと言う事ではありません。誤解なさらぬようお願いいたします。誰かの支えがあって成り立つ生命もあるからです。

しかし、代理ミュンヒハウゼン症候群「虚偽性障害」や 介護士などの隠れての暴行などがある事は確かです。これらの根底には承認欲求の歪みがあるからです。

利他愛に自己のエゴを重ねる求めることが愛ではないと言うことです。

 

 

 

 

自分は求められている⇔他者から

自分は役に立つ⇔他者の

自分は素晴らしい⇔他者の為に動いているから

 

他者あっての自分

 

 

では、他者が居なかったら自分はどうなるの?

誰がこの人を認めてあげるのでしょうか。

 

依存的になる人はこの時点で無意識に自分を認めてくれる人を探しています。

例えば、困っている人、優しい人、付き合ってくれる人など

自分の満たしたい欲求を叶えてくれそうな人を探しています。

(頼ってくれそうな人)

 

自分は求められている⇔求める必要のある人がいる

自分は役に立つ⇔役立たなければならない人がいる

自分は素晴らしい⇔自分が助けにならなければならない人がいる

 

つまり、自分より弱いと思える弱者が居るということです

又は、自分が助けてあげないと、困るだろうと思っている相手がいるという事です。

 

その事に良い悪いはありません。事実として居る、ある、だけです。

 

ではどこで歪んだ心理となるのか。

それは、 

相手が優位(幸せ)になろうとすると、無意識に足を引っ張るような行動や言動が現れたとき。自分の価値(肯定感)を保つために他者が必要になるからです。

自立(幸せ)されては困るのです。

相手への劣等感や妬み、嫉妬がそうさせることもあります。

必要以上に「自分は必要ではないのか?」と確認行動を起こす事もあるでしょう。

 

交友関係が広くアクティブで他者から他者へとターゲットを移動できる人ならば、相手にしなければいずれ居なくなるでしょうが、1人に執着(依存)になってしまっている場合は困りものです。

 

他者承認欲求はなかなか気が付かないモノです。

なぜなら、他者の為にと動いている「善意の行い」と混同されやすいからです。

本人も他者も気が付きません。

他者も、自分を思っての行動だと有難みを感じるからです

その思いは他者承認の欲求を満たす事になります。

本人はイイ事をしていると疑いませんので、気が付くわけがありません。

 

どこで、違和感を感じ気が付くタイミングになるか?

 

それは、相手が迷惑だという「居心地悪さ」を感じた時です

 

相手の為にやっている事だと疑わない当事者は、自分の価値感で良い悪いを判断し、相手に強制しがちです。 

母親が子に、過剰に世話を焼くこととにています。

子どもが反抗し始めたときに「あれ?」と思うでしょう。

親子の場合、親も経験があるので「成長したのね」と態度を変えることもできるのでしょうが、対大人(恋人関係)であると複雑な意見相違でこじれかねません。

 

他者が認めてくれないと、自分の存在が正しいのか間違いなのかと分からなくなる。

そもそも正しいも正しくないもないのだし、相手が求めるから好かれている、受け入れてくれないから愛されていないと、決めつけている事もおかしい話

 

相手には相手の考え方や個性、価値観があるのだから、自分と他者とのかかわり方が同じとも限らない。 自分の価値観(欲求を満たす)を相手に催促(強要)するのは、自由意志を奪う行為であり、相手の事を本当に思い合っての行動とは言えないのです。(自分が一番大事なので、自分を見て欲しいという欲が優勢)

それはとても悲しいことです。

他者に自分の価値を求める人は、認めてもらいたいと思っている人に認めてもらえる行動しかできなくなりますし、本来の自分を認める事が難しくなる。

また、依存が始まれば支配欲が増す。この場合は自己顕示欲が強まっている時です

 

 

 

意図的に丸投げする承認欲求

意識的に考えるのが面倒だという他者承認欲求という事もあります。

他者に自分の選択をあえて丸投げにし、自分の責任を転換したい場合です。

自分で考えて動く事に正解不正解があると考えてしまいストレスになる場合や、判断がめんどくさい無気力。また、1人では未来を考えられないという心理があります。

つまり、他者をそばにつけて、自分を見ていて欲しいという、捨て身にも感じる承認欲求です。

こちらは、捨てられるのでは嫌われるのではという恐怖感が強くでます。

弱い自分になる事で守ってもらえる事を望んでいるのです。

無条件で自分を受け入れてくれる存在が必要になります。

それも依存ですので、両者とも自分の存在意義を他者が居る事で確認する思考の癖があるという事です。

 

他者は他者、自分は自分を根本的基礎とし、

自分はそのままで価値ある存在であり、愛されている。

好きな事をしていいという許可 

人生に間違いはないのだという選択の自由

と、自己を肯定する自覚が必要なのです。

 

 

 

 

 

関わり合い

承認欲求が強い人には根気よく促していく必要があります。その場合強く突き放すのではなく、相手にも確認を取りながら促します。

孤独になる事自分への不利を嫌うので、双方にとってメリットになる行動や選択である事を分かってもらう事です。

関わらなくてよい人とは、静かに離れる事をおススメします。

 

この記事を読んで思い当たる人がいるのならば強い意志で「自分は自分のままでよいのだ」と、自分で自分を認めてあげて欲しいと思います。

 

 

 

 この記事はこちらの記事のつづきになります

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