くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

宿題をやらないを選択する子供たち

お子さんが宿題をやらないと

困っているママさん。

多いですよねぇ

 

宿題をやらせないと親としていけない!

宿題をやらないと子供も自分も困る!

勉強が出来ないと困る。

などなど、言い分はいくつもあるのでしょう。

 

考える所は、

宿題をやらない=困る

宿題をやらない=やらせなきゃ

ではなくて、

 

子供はなぜ、宿題をやりたくないのか?

子供はなぜ、宿題をやらなくてもイイという選択をするのか?

と、いうことです。

 

 

一般的には

やりたくないから とか

めんどくさいから とか

ただ単に興味がない。 

という返事が返ってくるのでしょう。

 

それを、宿題はやるものなのだ!と怒ったところで、相手も変わりません。

納得していないからです。

 

 

 

もう少し、踏み込みます。

 

なぜ、納得していないのでしょうか?

 

それは、宿題をやることに価値を見ていないからです。

 

つまり、宿題をやることへの得を感じて居ないからです。(やって何になるの?といったところでしょうか)

 

 

子供を子供だと思って、小手先で会話をしても見透かされます。

親本人が「めんどくさい」と思っていれば、「めんどくさい」が伝染するだけです。

 

つまり時間をつくり腹を割って

親子で宿題とはを話し合うべきです。

 

そして、

宿題をやらないと先生に怒られる→子供も困るだろう

→親も怒られる→自分はデキの悪い親だと思われる=困る

などと、親のエゴで「宿題をやらせなければ」と、

親本人がプレッシャーを感じてイライラしてはいないだろうか?

 

それでは、親子で首を絞める

負のスパイラルになるだけです。

 

 

時間をつくり真面目に

宿題に対する双方の思いを話し合う。

 

宿題を決められた期間内で終わらせる事でどんな得があるのかと、損があるのかを語ることです。

 

例えば、

宿題というシステムは、勉強は繰り返しが必要だからという理論の元現在の教育現場では取り入れられている。

とか

宿題を終わらせれば、居残りをしなくて済むよ。

とか、

授業で理解出来る事が増えるよ。

とか、

自分の体験談とか。

また、

本人の意志次第だということをキチンと話し、委ねれば良いのだと思います。

 

その話し合いの結果

それでも、子供が「やらない」を選択したのならば、

ほっとけばいいのです。

 

そのお子さん本人には、宿題をやることにメリットを見いだせなかった。それよりも、優先させたい時間があったという事なのです。

 

もしも、宿題を提出せずに、怒られる事があるとするなら、宿題を提出出来なくて怒られるのは子供本人です。

親である者ではありません。

勉強が出来なくて、困ることが今後にあったとしたら、それは本人が困るだけです。

宿題をやらせようと、やっきになる親が困ることは何一つありません。

 

彼らの人生は彼らの時間です。

あなたの人生はあなたの時間です。

 

ここで、子供の人生に自分の親としての責任というような体裁的な思考を重ねるから、親が苦しくなるのです。

外からの目線や評判、評価を気にするのはエゴです。

 

未成年である子供が、誰かに迷惑や損失を被った場合は、保護者に責任義務が発生しますが、宿題は他人の損失にはなりませんよね。

と、言う事は

要らぬ心配や苦労ということになります。

子供が言う事を聞かないなどと、自らイライラとストレスをつくり出しているのです。

 

双方が双方の思いを語り、子供が選んだ選択は尊重する。それも、親としての大事な責務です。

 

宿題をやらないからと、本当に困る事はありますか?

宿題がイヤすぎて、ヤれと言われた事がプレッシャーになりすぎて不登校や自殺などとなったとき、親はどう思うでしょうか。

 

彼らの望むものは?

幸せとは?

居心地いいとは?

優先させたい時間とは?

 

親として悔いを残さない自信がありますか?

 

 

勉強が出来る出来ないは

宿題をやるやらないとイコールではありません。

 

 

 

子供と親の間でのイライラには

多分に他人軸(偏見や信頼の欠落、期待過多、比較、責任転換)などの一方的な感情が隠れています。

 

子供は自分にイイ事は、自ら進んでやるようになります。基準が興味あること優先になる事は当たり前です。

 

失敗をして、上手く行かないを学習するのは子供の学びです。今後その経験がイヤだと思えば、選択しなくなります。

勉強をさせたいと思うのであれば、

勉強の得を考えるように進める事が近道です。

 

子供の事を絶対的信頼で、見守る事も親の役割とも言えます。

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

 

これからの世の中では

勉強が出来る=安定で幸せな人生

ということにはなりません。

 

安定で幸せな生活、人生は

自分の望む事を、自分で探しだし現実化出来る人です。

学歴や家柄などは必要ありません。

 

いかに自分を信じきれるかです。

 

子供の可能性は無限大。

親の固定観念やエゴで枠をもうけ、子供の可能性を狭めてしまう原因があることもあるのだと、意識してみてください。

 

 

 

 

 

付録

 

 

人間は若くなればなるほど、肉体も精神も思考も

スペックが新しい。

覚えるのも理解も適応も動き出しも早い。

機械類と同じなのです。

 

オールドモデルの私たちの取説が当てはまる訳がありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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