霊能力と霊性、精神性はイコールではない。
幽霊や守護霊、神仏が見えるからといって、
精神的に指数?が高いとは限らない。
霊性も精神性も高いのに、目に見えない事は全く解らない。という人はたくさん居ます。
しかし、そう言う人は自然に目に見えないモノを敬う行いをしています。
幽霊や低級霊と呼ばれるものは、周波数的には低いとされていて、そのゾーン(層)とコンタクトが取れてしまうと言うことは、見えなくてよいものを気にしなくてはいけないことであり、不要が増える訳です。
嬉しくないモノとの対面の場合のバリアやブロックなどの対処法も身につける必要もあるだろうし…。
(身を守るために自分軸と言う事が肝になりますね)
出来るなら、自分の会いたいゾーン(層)の人を感じたいですよね。
目に見えるという行動は、3次元的発想である。
高次元になればなるほど、根本エネルギーに近い方が個への付加(負担)が無いわけで、自然な事です。
つまり、形がない事こそが純粋なのですね。
形を保つ、形を造ると言う事は、
とてもエネルギーが必要な事なのです。
では、なぜ、神、仏、龍神、天使やらの姿が見えるのか?と言うことですが、
これは、それぞれに、ご本人が感じているエネルギーを、それらのイメージとして創っているのです。
想像で創っているとも言えますが、目に見えない彼らにも個性があって、その個性を感じとり、龍神や、天使と分けているとも言えます。
複数の人が、同じように龍だねなどと言う事があれば、その、目には見えないエネルギーの個性は龍神として認知されるエネルギーなのでしょう。
幽霊の場合もそうです。
女の子の、霊だと数人がいえばそうだし、
大人の女性だと、言えばそうなのかもしれない。
幽霊は念の意識ですから、個性が強い。
だから、同じ場所で、同じ姿を複数人が見ると言う現象が起きるのでしょうね。
幽霊っぽいエネルギー、神様っぽいエネルギー、
仏様っぽいエネルギーなど、
分類があり共通に感じる個性のエネルギー。
経験からの記憶によるもの。
私も一度接して感覚をコピーしなければ、次回似たような感覚のエネルギーにあっても、動物っぽいとか人っぽい、神様っぽいとか分類できません。
これも、確認と経験ですね。
どの様に感じるのか。
色を感じたり音に感じたり…。
と、言う人もいますが、
一番は、頭の奥の方で映像で見える、感じとる、と言うような事のように思います。
私の場合
頭の奥なのだけれども、とても広く視野が開けています。
頭の奥だけれども、頭の上の方に投影されているかのようでもあります。
つまり、目で見るのではなく、頭の中の映写機に写り込んでいるものを、大空に投影させているかのようです。
全く感じないも、
感じ方も、見え方も、認識の仕方も、
人それぞれの能力があり、
才能となったり、特性となったりする個性です。
目で可視化し捉えるのではなく、心で感じて視る。
人間は霊性(精神性)を高める必要に迫られている。