お寺で先祖の魂を供養する。
と言う行為はそれだけの意味で終わりではない。
実は、生きてる人間の為の行為だったりする。
亡くなった方への感謝やお別れと言う意味もあるが、
残された者の心の整理の為に儀式や供養を行う
と言う意味合いもある。
一番は思いやりが重要なので、礼儀があれば形式や形を神仏様は気になどしてはいないが、敬う気持ちの最大限の現れとしたり、儀式として術だったり、心を揃えるためだったりで、形式や作法が決められていたりする。
突き詰めれば、考え出した人間の決まりごと。
やはり人間目線でのやり取りなのです。
亡くなるとは、
肉体が終了するだけで、魂と記憶は残るのだから
肉体に残った記憶や意識が、現世に漂いすぎないように、心配や憤りはお忘れくださいと
お伝えすることが一番の思いやりな気がします。
間違っても、なぜ死んだのか😖と後悔で引き留めてはいけません。
それには、残された者は、誰にたいしても悔いなくいられるように素直に精進致したいものです。
悔いるのは、
亡くなった者ではなく、残された者が感じる感情だからです。