集合時間の30分前に無事
お宿に到着
師匠とも合流
天川村を訪れる行者は
まず、定宿と言うものを決めていく
事になるそうです。
しかし、私たちは
峯龍先生について行を行うので、
必然的に先生の定宿が私たちの定宿に
なっていく訳ですね。
弟子は楽ですね。
初日は
御祓殿でお勤めをして、
水行と滝行です。
おしゃべりや、おふざけは禁止です。
身を引き締める。
女性が行う滝行場の写真は
行中写真は撮れません。
こちらは男性が行う水行の場です。
お水は通年で8度とのこと
般若心経を唱えながら水に浸かる…
冷えますね
行は、
滝や水に入る前に
祓いの儀式をおこない
自然や念に負けないように
己をしっかりもって挑みます。
心臓から遠い身体から滝水につけ
南無八大龍王と唱えながら
身体を水に慣らす。
滝に打たれ出せば
不動明王の真言を7回
気を緩めると
滝の勢いに負けそうになります。
終われば緊張が安堵へ変わるかと思えば
そうでもなくて、私の場合は
覚悟はきまるし、
より自分と向き合おうと思えた。
滝行にハマる人の気持ちがわかった気がした。
しかし、
私は苦行と言うモノは必要ないと思っています。
では、なぜ行を体験しに行くのか。
望んで行うことはすでに苦行ではないのだが、
怖い思い、危険な思いをなぜ望むのか。
自ら冷たい水にはいったり
規律や制限のある場所へ行ったりと
緊張感をあえて経験に行くことは
普段の生活がどれだけ幸せに満ちているかを
知るためだと感じる。
そして、礼儀を重んじる行動は
自分がどれだけ愛されているのかを
知るためではないかと感じる。
また、礼儀をもっての行動は
必然的に相手に優しい行動になる。
あ互いを思いあっている事になる。
今回修験行を行い
さらに思ったこと。
やっぱり、日常こそに
自分の学びがある
と言うことだ。
生きていることが行であり
場所や時間を定めなくとも
自分が決めれば、いつでも学びになる。
いつもより少しだけ、
意識して丁寧に行動するだけだと思った。
『意識して丁寧に行動する』
簡単で単純で、あっけない事のような事が
実は一番難しいことなのかもしれない。
おまけ
苦しい事が行ではない
我慢する事が行ではない
その先の行動と考え方にこそ
『行』がある
ぼーっとしてたって
楽しんでいたって
意識して自分の情と向き合う
その時はいつでも人は
真剣になれるのだ。