もしも意識の秘密というものがあるのなら、
それは一体何なのか?
人間の「意識」とは一体何なのか?
現在では人間の脳の働きとその仕組が精密に解明されて来ているが未だに人間の「意識」がどうやって生じているのか?については謎のままである。
その謎に迫るこの研究は大変興味深い。人間の「意識」について本書が示唆するポイントは大きく二つある。
一つは人間の「意識」は「瞬間」的に生じるものでありそしてもう一つは多様な「情報」を「統合」する能力である。
脳は「ニューロン」と呼ばれる無数の神経細胞で構成されておりそれらが神経を伝達する電気信号で相互に結び付く事によって様々な思考や感情が生じているとされる。
人間の「意識」はそうして脳のある部位の神経細胞が「瞬間」的に結び付いた「核(コア)」を形成する現象によって生じるのだ
だが「ニューロン」そのものは「意識」とは直接関係が無い事が判明している。
確かに人間が思考している時、脳の特定の部位が「発火」し神経細胞同士が結び付いたネットワークを形成してその電気信号の流れは「脳波」という物理的現象として観測する事が出来る。
だが例えば障害などで手術によって「ニューロン」が数多く存在する脳の部位を物理的に切り離したとしても「意識」が生じる事には全く影響は無いのである。
つまり根本的には脳という器官によって人間の「意識」が生じている訳では無い事を示唆している。
寧ろ脳、肉体というのは超精密な「ロボット或いは端末」の様なものであって超越的な「意識」という独立した存在によって「操縦」されているものだとも考えられるだろう。
そうだとすると人間の「意識」が脳の神経細胞が相互に結び付き「瞬間」的に生じるのならその瞬間瞬間の「意識」を一貫した人格に「統合」しなけれぱならない筈である。
人間が思う様な一貫した「自分」というイメージは脳の物理的な現象としては存在し得ないのである。
五感を通して来る外部世界の情報、「過去」或いは「未来」として認識している瞬間瞬間の情報、「自己」と「他者」という関係性、「時間」の流れと「空間」の広がりというアプリオリ・・・そんな膨大な「情報」を「統合」する事によって人間の「意識」は一貫した「自分」を保つ事が可能なのだ。
ならばそんな「瞬間」的な膨大な人間の「意識」を「統合」する超越的な「意識」という存在が無ければならない。
それこそが「魂」の存在である。
人間が「自分」という一貫した「意識」を保つ事が可能なのは肉体に「魂」が宿っているからである。だが勿論従来の科学は「魂」の存在を認めていない。それは宗教やスピリチュアルな領分であり実証も出来ない。よって胡散臭い思想だと考えている科学者も未だに多いだろう。
勿論本書でも其処迄は突っ込んでいない。だが人間が自分自身についての「本質」を思い出さなければ「意識」とは何なのか?という謎は永遠に解けない。
科学者は慎重だがそろそろ飛躍的なシフトが必要なのである。だからこそ人間は自分自身の「本質」を思い出さなければならないのだ。
書籍「意識はいつ生まれるのか」(著:マルチェッロ・マッスィミーニ / ジュリオ・トノーニ)
そういう事よ。
人間の人としての哲学も
宇宙の1つだとすると
森羅万象(曼荼羅数秘)も
人工的な方程式ですら、
宗教学に秘められているのだよ。
(片寄ってはダメ)
スピリチュアルっていうものは
全てである。
言い換えればスピリチュアルなんて
言葉はいらないくらい「それなのです。」
でも、言葉として「それ」がないと
理解できないし、共有できないから
スピリチュアルって言葉で示している。
宗教、信仰、スピリチュアルってものを
毛嫌いしてる場合じゃないよ。
知れ。
転じて観れば
日本人の無宗教感覚は
実に有能なのです。