信頼と信用
言葉が違うから、違う概念(意味)として認識している人もいるだろう。
概念も意味も違うだろうけど、同じ感じで使っている人もいるだろう。(深く気にしていない人とか)
信用とは過去に事例があることに
『◯◯◯だから大丈夫』など経歴や体験にたいして確信を持っているコトに適応されると感じる。
信頼とは、信用も含めて、または含めず、今の状況から未来に対して信じている。人にも事柄にも。
(今のこの人なら大丈夫だ…とか)
そう言う認識だ。
そして、どちらも
期待しすぎてはいけないということだ。
(セルフコントロール)
人間は期待(依存)しすぎると、
勝手に裏切られたと腹を立てる。
これがまたメンドクサイねじれを生じさせるのだ。
信頼も信用も期待もするが
結果を攻めず、執着せずに委ねること。
これがまた難しい。
頼ったのだから、何があってもしょうがない。
信じたのだから、何があってもしょうがない。
望んだのだから、何があってもしょうがない。
と、委ねる。
それが神仏のおも示し。
(自分信仰)
怒りや腹立たしさは
相手への期待があるから生じる感情なのだ
それは『相手に期待している』
『好き』だということ。
勝手に期待して怒り、
感情をねじれさせるのだから
人間は複雑怪奇なのだ。
(ホントめんどい)
人間は人になるために悟りの法を学ぶ。
それしかないのだ。
だから釈尊は
『苦をコントロールする生き方を示したのだ』
人間は、自分が如何に幸せかを知るために。
おまけ
先日の#Clubhouseから
『怒り』という感情は
相手への期待値と、
自分へのエゴという愛
に比例する。
解ってくれ!と叫ぶのだ。
正義も悪も関係ない
自分へのエゴなだけ。
相手への期待値大きくて
幻滅すると
強い憤りが怒りになって噴出するよね。
(自分の勝手な期待)
(怒られる側が期待値をあげてくる場合もある)
これだって
呆れられて、反応が無いより
怒られてる方が愛があるのかもよ。
怒ってる方が愛があるのかもよ。
ただ、
怒る側も
怒られる側も
もっと学べよって事ですよ。
怒りの質にも濃度があって
低レベルモノから高レベルのものまであるから。
(ひっくり返せば全部エゴ この世はエゴですから。そして愛だと言う)
『怒り』その感情の裏には何があるのかを掘りましょう。
つぶやき
自分を見てよ
解れよと叫ぶ「怒り」は
カッコわりーぃ。
以上