くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

現代人には難しい?

今日の記事として

別サイトのブログに書こうと思ってい事がある。

しかし、私の想いが強いのでやめた。

こちらに書く。

これはあくまでも、私個人が思うことであって

思い過ごしや誤解もあるかもしれない。

しかし、強い確信がある自身の体験でもあるので、

その視点から見れば真実なのです。

そして、

私の関わる環境だけに当てはまるモノではない話だ。

真実を信じて、本物志向でゆく!

 

 

 

今、この瞬間に

あなたのできることは何ですか?

と自分に問え と言う話だ。

 

貴方のように◯◯出来ない

私なんて…

始める前にあれをやらないと出来ない

これが無いならできない

こうなってないと出来ない

などの理由は

言い訳 と 逃げ 

 

誰が

どこまでヤれないといけないと言った?

こう無くてはならないと言った?

お前はできてないと言った?

お前の選択は間違っていると言った?

 

そう思うのは自分 

であるのだから

自分で自分に出来ていないと思っている

証拠ではないかと思うのです。

(図星だからこそ怒るのようなもので)

 

誤解はないか?

 

浅はかな判断は無かったか?

 

 

 

現状をそのように造り上げているのは

自分の心(思い込み)

それさえ解れば1つの事象も捉え方は無限大

 

 

善良エネルギーの巡りを作り出すには

最初は努力が必要。

仏教とは努力の教えなのだ。

(人間社会は捻れがイッパイだから悪い癖もイッパイなのだから根気と根性も必要)

 

善良エネルギーが巡り出せば苦が減るし

自他ともに信頼感が増すのです。

 

 

 

 

ここからは私が考える曼荼羅

 

私の思い描く未来は3年前のあの時から変わらない。これからますます本当の意味で道を極める意欲のある人材が必要になってくる。

それに対して修験道は基礎根源になる。

 

私の内では

秩父曼荼羅小屋への希望はより厚くなっている。

 

だからこそ、自分に出来ることを

背伸びもせずにコツコツと

ただ、出来ることをコツコツとやるだけだ。

コツコツが基礎基盤

一見、無意味に無力に感じることも…。

 

 

私は恵まれている

道場も先生達とも物理的に近い距離で

生活をしている。

だからこそ、私にできることは必然的に増えてくる。

これは有難い事だ。

 

これは先生方だけへの奉仕(尽力)ではない

神仏への奉仕とも言えるが、

曼荼羅小屋会員皆全てへの奉仕だと思っている。

 

先生達に何かあったらこに先どーなる?

修験の学びは知恵はどーなる?

(先生方の経験体験談の伝授は?智恵がなくなる)

 

この場所がなくなったらどーなる?

私たちのスキルアップも神仏様たちの行き場所は?

ご縁協力頂いた人たちとの巡りは大丈夫だろうか?

その先の諸々関係者や、今後出会うはずだった良縁や曼荼羅小屋と出会うことになる運命の人たちはどーなる?

 

これらは

どちらの先生に何かあっただけでも痛手になるのが予測できるわけで。

 

何せ、この場(ご縁)を何年も何年もかけて

構築作り上げて来てくれているのは先生ご夫妻だからだ。

私たちはそのご縁を横から拝借しているに過ぎない。

言い換えれば便乗しながら学ばせて頂いているだけなのだ。

先生たちの時空間=エネルギーを与えてもらっていることになる。

(これは道なのだサービスではないのだ)

 

誰が先生方と並ぶ指導ができる?

情報を知っている?

ご縁を繋ぐことがで来る?

 

お前は出来るのか!

(無理…)

 

だからこそ、静果先生が居なかったら

峯龍先生を補佐できるように静果先生より習わなければ。

峯龍先生が居なかったら静果先生を補佐せねば。

 

道場が使えなければ提供しなければ!

となるのです。(道でしょう。)

 

私よりも神仏とご縁の濃いのは

どーーー考えても先生方だから。

どーーーー考えても曼荼羅小屋にはお二人が必要

曼荼羅小屋が無かったら仲間が困るもん。

(龍王様のご利益は直に私に巡っているものではない。峯龍先生と静果先生の才と因縁の軸にあると思う。私たちはその渦の1つであり原動力でもあるのだ。ここから一人立ちして神仏との縁を強くするには霊性を上げ質を良くすること。)

 

 

神仏との関わりは 

自欲が強いと巡らない

(単発お試しか打算的に終わる)

自欲(自利)の中に多くを包む慈しみ(利他)

がないと本格的に発動しない

(これが森羅万象の仕組みだから)

 

そのためには

お金がなくたって、学歴がなくたって

距離が遠くても、体力がなくても

時間がなくても、心が荒んでても

 

自分に今この瞬間にできることはなんだろう

は考えられるはず。

相手と自分の為に自分が出来ることはなにか。

 

自分を優先させたほうが後々良い巡りになるのか

相手を優先させるべきか、

健康であることが一番なのか、

心穏やかが一番か、

相手に任せる事が一番か、

自分優位で物事を考えていないか…

自己犠牲ありきで物事を考えていないか…

(自己犠牲は続かないからやめな)

など

今この瞬間から出来る事はなにか…

を始めればイイだけ。

 

約束した日に確実に参加できるように

無理するのは止めよう

とか、

生活基盤となる仕事をして安定させて

ここぞの時に参加、援助しようとか

この日だけは参加、援助しようとか

守りたい大切な人のために負担を受けようとか

自分保身の為に他人を盾にするのは止めようとか

(言い訳の材料として他を利用する行為は修験者らしくないと思う)

 

今この瞬間にできることがあるはず。

物理的にも精神的にも

 

 

自分のことで精一杯…。

それでもいいのよ。

それが等身大なら(認めることが大事)

里行が最大の行って言うでしょ。

(先生方も言ってたし)

とにかく

比べるな 他者とも自分の理想とも

 

 

 

ここから行モード🔥

 

自分なりに

自分の最良となるだろう場所や縁を保守するにはどう関われるか考えろ。

(家庭、職場、学校、サークルなどもそう)

目先の損得だけで動くな選ぶな 

巡って自分への不利益になるぞ。

(縁巡りを道理で考察せよ)

 

学ぶ者として師(先輩)を立てることが

場と縁を立てることになるのだと理解しろ

(巡って自分を慈愛することになる)

 

師へ自分の心境や環境、変化はホウレンソウすべし。

報告、相談、連絡は自分の為であり仲間のためだと心得よ。

(師を鏡とし自分(内心)を観よ)

恥を捨て、さらけ出すことで救われる

それが師を持つ強みの1つでもある。

 

 

仲間は大事だ。

大事だからこそ仲良しこよしがしたくって

神仏囲んでる訳じゃないからな。

自分が出来るようになってから形を外してくれよ。

 

楽して救われたい、あやかり万歳

そう思うならとことん信じろ。

信じてると貢いでいるのに

報われないのはナンでだろう?

 

この世の神仏 つまり

森羅万象システムをナメんなよ。

 

神仏に関われば関わるほど

嘘偽りが通らなくなる。

道理と信頼と心願 

心身の強さが試される。

 

耐えられるのか?お前に…

(自信無い)

 

 

さぁ精進 (苦笑)

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おまけ

 

自宅で勤行中

阿弥陀如来の前に釈迦如来

釈迦如来の前に弥勒菩薩

弥勒菩薩の前に峯龍先生を見た。

一瞬だけど、

美しくハッキリと見た。

 

そして師への信頼こそが

神仏への信愛になり 

衆生への博愛になるのだと

悟った。

 

師への帰依こそが神仏への奉仕と

自身への自愛と先祖供養としても

エネルギーが巡ることも。

 

ヨーガ経典で言うところのバクティヨーガだ。

 

ダルマ、カルマ、輪廻、瞑想…

も信愛で越えることが出来る。

しかし、現代人には難しい。

その理由も

グルへの奉仕が純粋に出来るようになれば

なぜだか理解ができるのです。

(体験談であり実践中)

 

 

 

 

 

 

何が学べるかは自分次第だと思うよ。

私はここだと決めたのです。⬇️

自身の学びを高めるためには? | 秩父曼荼羅小屋通信 ~峯龍の求道日記~