メモメモ…
知らないんだから 信じる必要があって
知ってることだったら 信じる必要はない
当たり前(事実)だから…
信じる と言う意味の誤解
あるねぇ…
騙されたくないと保守する
騙されないからと警戒する は
信じる力を 間違って理解している
わけだな。
真実だと実感したから信じる?
は間違ってる信じる力の使い方
な訳だ。
神だのエネルギーだのと言う話しは
そもそも証明が不可能な事柄で、
結局その人の話を 信じるか信じないか
と言う事であって
そもそも 神仏や 神がかった奇跡や
功徳のある縁とは証明できるものがないので、
語る人の実感体験と事実への流れが
神仏の導きに値するのか、
自分の価値観感覚も含めた
その人を(その人の話を)
不確かなゆえに 信じるのか…
と言うコトナだけ。
エビデンスや証拠があるから信じる
というのは
信じる力の本領ではないわけだな。
人間、可視化されたり ある
と、捉えられないと疑る癖があるから
なおさら智慧のある人の意見を聞き
自己で感じ、精査する
冷静さと貫く強さを
信じる力に委ねる決意が必要なんだな
と思うわけ。
神仏(先祖も含む)の前には先人の智慧と姿(姿勢)
その前には父と母
そして私…。
感謝は
遺伝と情報を伝い伝播する✨
おまけ
不確かなゆえに信じる
姿勢を 行いで示す。
それが可視化する唯一の方法
して、智慧こそ
信じないを信じるに変える法
とな ¿?
つづく