くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

釈尊 さすがです。

メモメモ…

 

 

お釈迦様はお釈迦様(自分のこと)も信じるなと

 

解いたとな!

 

「私の事も調べなさい」

私の事も疑いなさい とか

確かめなさい とか

疑問をもて とか

 

そういう意味

 

人間の癖をよくご理解されている釈尊は

そう説いていた。

 

うむ。

 

これは私の言いたい「信じる力」へ

踏み入れがたい人への

レッスンではないかと思うのです。

 

思考して 疑う癖、何かにすがりたい心理を持つ人間へのレッスンな訳です。

 

本当だったら 

「私の言ってることを信じてやれ!」と

言いたいだろうに(と思う)

人間の癖を熟知した釈尊は

トコトン疑え❗と言った訳です。

納得いくまで…

 

これは自分に自信もあるし、

相手との縁も試している。(と思うよ)

相手を試しているのではないですよ。

(知らんけど)

 

そしてお互いのカルマへのリスクヘッジも

行っている。

 

私(釈尊)への執着心や疑心、逆恨みを

最初から生まない 発生させない技(業)

なわけ。

 

いやぁ さすがです。

 

 

 

仏教だけだよねきっと

信仰を持つな 経典さえも疑え 

なんて言ってるの (笑)

 

どの宗教の教えとは、人から人へ

伝う事だから 

伝う人の価値観や趣味嗜好が 

教えの癖や捻れとして滲むから、 

同じ教えだとしても 

微かなニュアンスの違いで

誤解も生むし、

ピッタリと当てはまるか解らないし、

正しく理解出来るかも解らない。

 

カリスマ性のある人だろうと

有名な人だろうと

正しい事(真実とか霊的にも高度な事を)

言っているかどうかは解らない訳だから

疑えと…。 

 

自分の責任で、自分の智慧で読めと (笑)

 

誰のせいにもせず、己の

選択、行動、伝達で進めよと…

泣けるぞ 釈尊。

 

 

 

ここで、

私は 信と捨 と言う術を使うのです。w

 

自分がコレダ❗と思うモノゴトを

信じて貫く

そして 

私と言う実態を明け渡しにより捨てるのです。

 

もう疑う事や 迷う事が面倒だから

(これも打算なのかもしれないw だけど、ある一定の縁の渦に突入すると個人の考えで選択行動しても意味がない次元に行き当たるのですよ😅こうなると委ねることが多くの人の安寧への近道な訳です。これも智慧と体感で理解できてくるので安心です。宇宙のシステムはかなりハイスペックなのです。)

 

 

 

道徳的正しさや

宇宙の真理としての正しさ

時代による正しさ

どれもこの世で生きていくには必要な正が、森羅万象とするなら

 

どれも自分という世界を

自分の価値観と創造性で造り上げている

のが、自分が見ている世界(現実)

 

自分だけの物差しだけで

森羅万象を読み解くことができるのか?

そこから 疑え❗って言いたいね。