くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

影響

 

物には裏がある。表と裏は同時には見えない。見えない裏を支えてくれているのは他者である。自己は他者を通して裏の世界の存在を確信する。こうして裏と表が等化されるとき、物が概念として花開く。最初に物があるのではない。表の世界と裏の世界が協力し合って物が生まれているのだ

 

月を通して物質を受け取り、それを精神としての太陽へとつなぐことが、わたしたち地球の役目です。

 

by半田広宣(ヌーソロジー研究所)

 

今月のテーマは月🌒か?と言うくらい

月の役割(仕業)を話し合っている。

明日は新月だ。

 

 

 

 

 

 

先日、峯龍先生の閃きからご助言いただき、

毎月、水脈を中心とする供養を自宅で行う事にした。

毎日感謝はしているが、改まってはしていなかった。

また、「やってるよ」と言う自信や自負なんて

甘いものだと言うこともわかった。

 

 これはこれ それはそれ

     それもごもっとも これもわかるよ

 

の、世界では 足らない、十分、多すぎ、の加減が個人では判断できない。個人の物差しだけでは図れない。

比べる材料がないんだから当たり前。

 

他者からの助言や教え、時には注意や訂正も

自分の領域や見方、考えの幅、選択肢、を広げる

大きなキッカケになる。

 

今回の私の場合は、

供養について質を高める習慣になる事だと捉えている。作法やシキタリ?に疎い私しには丁度よい行だと思った(苦笑)

 

音の供養供物 

としての考え方も変わってきた。

頭ではわかってるつもりでも、実践しようという心の動きがなければ、「わかってる」にはならない。

比べる材料がないんだから。(笑)

 

このところ祝詞集との仲がよく

言霊(声)を発したくて仕方がない…。

日に日にインスピレーションと祝詞の意味が合わさって独りで天・地・人の世界に浸る。

感動しかない。

 

音の浄化力と点に集中しすぎない注力を

知ってしまった。

秩父曼荼羅小屋では、音の供物材料が多く揃っている。

(音がなる仏具やグッズ)

それにも意図(思いやり)があった。

 

前にも聞いていたはずだけど、

その時はタイミングでなかったのか、

私の頑なさが聞いていなかったんだね(苦笑)

 

有り難いんだな… 

 

仏陀は法を広げるために サンガと言う講(グループ)を作っている。 それは実に利にかなっている。

ま、そう言うことよ。

 

 

 

 

 

 

音と言えば、ワタクシ音楽幻聴というのか、

雑音が音楽に聞こえる事がありまして…。

換気扇や各種電機機器、エンジン音が

音楽(歌やメロディー)に聞こえる事がありまして。

空気の漏れる通り道が歌ってるように感じることがあります。

 

激体調不良の時は過敏症になり

癒しの音が雑音にもなります。

体調がよくメンタルも上向きの時は

工事現場もライブ会場のようですw

 

多少オンオフがあるので苦しくはありません。

 

あと、音には光があります。

そのお話はまた今度。

 

 

 

 

 

 

 

いつか書き残してたメモ⏬

 

後ろめたさ

欲の本性 見極め

修行はバランス

 

 

うむ。 自分を観察監視続行中