守破離
ちょいちょい話題に出たり
目にする言葉
と、いうか教えですね。
定期的に耳にする目にするって事は
自分への戒めなのですかね。
宇宙からの助言ですねきっと(^-^)
道がつく学びには型(形)があると思うのですが、型とは基本ということですから、型が染み付いている位、標準化(習慣、通常、ニュートラル、ナチュラル)になっていないと、基本ができている!とは言いがたいわけで…
基本ができてから、新しい技やオリジナルを身に付ける方がスムーズに覚えられる。
つまり、
中途半端な知識は無い方がいいと思うのです。
これも体感済み…。
自分が経験した訳でもないのに、他から一度入れた知識や概念が自分の「ホント」になってしまって、新しい情報が入らないことがあるからです。
新しい情報を疑っちゃって拒絶とかね。
人間は信じたものを手放すのが下手。(執着)
時には自分が経験した事実さえ、「他にも答えがあるかも」「間違えかも」「気のせいかも」というスタンスを持ていないと、より良い情報、常態は導き出せないものだったりします。
「もっといい方法あるかも」「選択あるかもぉ」という考え(打算的心理)を持っていると、ある程度判断基準として聞き入れるので、方法としてはイイですよね。
だけど、この打算が勝ると、あっちこっち手を着けて、結局どの型も基本にならない。
身にならない訳です。
1つの事柄も1つ1つ丁寧にやっていけば
何通りもの発見と気づきがあって、
突き詰めれば悟れると
シュリハンドクさんは示しましたよね(笑)
(この話もホントかどうか判らないけど、個人的体感としては、素直に毎日取り組む事が力になることは正しいと思っている。専門職が匠となることがソレだよね。)
過去記事参照
ある程度地盤(基礎知識)がある人は教える側の言葉が通じやすいかもしれないけど、自己流の知識が悪習慣になって理解の進みを悪くすることもある ということ。
何も知らない人の方が素直で吸収も早いことも。
要は、常にフラット(平常、平ら)な心構えで教えを、とにかくやる。に尽きるな…と思うのでした。
(病気の人が薬をいい加減で止めると、また悪くなるっていうやつもソレかもw)
日常生活でも、守破離の考え方は使えると思います。
しゅ‐は‐り【守破離】
剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
引用:コトバンク
前半部
守破離について分かりやすかったのでシェアします。
#366 「行き詰まったらここと向き合ってみてください」&2022.11.in鹿児島・宮崎(42歳の誕生週お祝いV-log) - YouTube
おまけ
善い悪いを示したい訳ではなくて、
「何を目指してソレに向かいますか?」
「何が望みでソレに向かいますか?」
「何が欲しくてソレに向かいますか?」
という単純なこと。
この世は単純なのに難しくしているのは自分。
私もまだまだ…