くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

情報と共鳴

共時性

昨日の夕方から個人的にも問になってたことが、今朝のディスカッションでも話題になってリアルタイムにインプットアウトプットが進む。

シンクロニシティが起きることが常識的になれば、今、自分に問われていることに迷わないでいられる。

そう思うよ。

自分の経験体験が誰かの気づきや考えの参考になることって、有意義だと思う。

これが人間のお役の1つだとも思うのです。

 

 

 

 

 

忍辱と精進

生活の中に行という考えを含むのか

生活が行なのか

行という人生に生活があるのか…と

なかなか面白いところですけど、

要は、

自己コントロールとは戒律(守るルール)があって

訓練されていくもので、

本当は強制的にでも戒律(法)は守った方がモロモロ気づきは早いわけ。

だけど、矛盾があって成り立つ世の中ですので柔軟に「妥協」「甘え」も必要だったり…。方便ですけど。

 

ダイエットをいつも頑張ってるから今日だけは🍰…を自分に許すのか否か。

いつも頑張ってるダイエットなのだから満願までは…の方か。

どちらが自分にとってのメリットなのかの精査の連続 (選択)なだけなんですよね。

 

それを、難しく考えすぎだとか、古くさいとか、

たまにはいいじゃんとか、 ちょっとだけとか、

フツーはこうでしょ!とか…

 

それは、甘やかしなのか、息抜きなのか、怠惰なのか、

快楽ありきなことなのか、頑固なのか、意志がない、

とかとか…

 

まぁ 自分を突き動かす感情や記憶や欲求がどういう煩悩なのか 感じ分けてコントロールする事ですよね。

堕落していく事がなければよくて…。

 

頑なに押し通す戒がイイコトだとはならないし、

頑なに押し通したからこそ突破できるコトもあるだろうし、

 

何を目指しますか?じゃないですかね…

そんな感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

邪見

🐰さん「たにまって言ったら🐶さんはアレでしょ?」

🐶さん「ボクがたにまっていったらナンなの?」

🐰さん「あの、たにまを思い浮かべるでしょ」

🐶さん「…」

🐰さん「やっぱりなぁ だから🐶さんは…」

 

これは🐰さんの邪見です。

かもしれない予測(予見)を断定した妄想は邪見

 

確定した事実 今、見聞きして「ある」にならないものは不確定であり未知なわけ。

自分の持ってる情報を用いた推測からの妄想と決めつけは邪見になる。

事実とした相互性がとれて有益な情報となる。

 

世の中「かもしれない情報」で溢れてる。