くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

分析とベクトル

 

当講では

意の話をベクトルを用いてよく話をする。

真言、陀羅尼助、お経、祝詞、詠などなど

神仏作法には向き合う方向性からキモチを大切にする。

 

これは自己のキヅキの段階や

向き合う姿勢の理解熟知度合いで

変わるのだけれども、

ある一定の立場になれば、納得はせずとも

そうらしいから やってみようと行動する

心の余裕(心の素直さ)が必要である。

 

わからないのなら納得が行くまで話し合えばいいのだが、多くの者との共有時間は限りがある。

また、自分の思考の癖 ねじれが

どこで発生し、

対話中どのように変化し、

どのように解釈を変え、

どのように現象と感情を混同させ、

どのように他者目線で、

どのように自己保守になるのか

自分の事を知る必要がある。

 

感情だけ中心に対話を回していく人はボロが出る。

 

 

自己分析と神仏との対話はイコールである。

そう言う教えも説いている

役行者「龍王祭」 | 秩父曼荼羅小屋通信 ~峯龍の求道日記~

 

月次龍王祭の1コマ
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講メンバーへ

私で良ければなんでも聞いてください。

FUSAYO