科学的分野を知ろうと思うのは
見えない領域の確認になるから。
根拠となる見える化という感じ。
日々 感じてること、
見てきたこと、
記憶にあることが、
バチコーーーーンと繋がる瞬間の快感よ。
えええ! そう言うことなの?!
なるほどね~✨
しかし、見える化されたものは型(形)であって本質ではない。
知性は有限である… という名言がある
(誰だったけ?)
いろいろな知識人もそんな本を出している。
天才は有限、努力は無限 とか…
知性とは、方法や手段に対して鋭い鑑識眼を持っているが、目的や価値に対して盲目である。
アインシュタイン の名言
深い… 執着論にも通じる…。
知性が有限であるなら確かに本物じゃない。
本物というか本質というか…
無限があるから多様性と自由とか違いがあるわけで。
無限は有限を内包しているわけだね。
また、有限があるから無限が生まれるわけで。
パラドックスぅ…
有限である型(形)や形式が
無限(自由度合い、質、幅、奥行、濃度)を作り出すイメージ。
曼荼羅ですなぁ…。
脳ミソの構造は 電子分野はもちろん
メタ開発や量子分野、AI技術分野などに取り入れらえて発展している。
ネットワーク技術はまさに神経。
人間の肉体構造が科学技術に多様に応用されている事は珍しくない。
専門家なら当たり前とも言える。
肉体は宇宙ですねー。
人体の不思議は、宇宙の不思議😍
流れに乗るってさぁ
抗わないことかなぁって思うんですよね
肉体の柔軟性と固さとか
鈍感と閃き
覚えの速さや鈍さ も相似象かなぁって思うね。
真理として、一時は良いこと(目先のこと)だけの選択行動言動は 流れには乗れない事が多く
澱んでいく感じ。
過去の事、知の応用を踏まえ、少しでも先のこと、周りの事も含む判断は巡りがよくなっていくんだよなぁ…
なんでだろうね。
自利欲かと思いきや、自己を高める事で周りの流れ巡りを良くすることもあるしね。
こう言う作用(力学)が、神々の作用とか無限(可能性)であり、
自分が先か、他が先か…などの判断が有限(原因や結果)
なイメージだな。
少なくとも…
感じる事が必修
感じて 想像し、照らし合わせる事が出来なければ、
基礎基本、知識である型(形)の発展がない。
形式だけじゃ 霊は発動しないよな(苦笑)
感じるの形(情報)を 脳ミソで模倣しても
それは 感じる ではなくて、
結局 感じるの真似事
それでは霊の力は作用しない。
本物と偽物の見分け方として
「のびのびしているか、否か…」と説く人がいた。
のびのび…という言葉をイメージすれば感覚でわかる。
この法則は真理かもね。