思考と妄想は違うかなぁとか
思い考えることは、ベクトルの向きで作用が変わるよなぁとか
思考して意図的についた癖は
無意識には外れないのでは?
思考しすぎて捻れた癖の思索、
➡️向き合うことかと
思い考えない集中と
ただ感じること、
受け流すことも
自身の状態や体感から照らし合わせ、徐々に
思考が止まる体感を越える事ができる
のだと思っている
あれこれ思い考え
憶測や過去の経験からの
苦い感情を呼び起こし、
勝手な解釈で不安や怒り嫌悪は
妄想であり思考ではない。
未来への悩みは妄想
思考ではない
未来への不安をリスクヘッジするためには
現状をありのままに見て
向き合い、
ソノサキ(こうなったらいいな)を
考え どうするか… (←私の思う思考)
という前進意欲が良い
前進意欲には 囚われない
「なんて事ない」
「まぁいいか」
という手放し決意も含まれる。
とらわれないことも覚悟や勇気である。
思考を悪いものと捉える概念、風潮は
人間の脳ミソ能力を使いきれないし、
思考の思考が浅いと感じる。
わき出る感情は どう整理するんだろ?
人間の捻れは感情が引き起こすのに
感じるだけでは整理できないかと…。
かといって
思考で感情を思考するだけでは理解は出来ないし、
感じることを思考して感じる風なのは重症である。
(現代人あるある)
思い込みの悪い癖
被害妄想の癖の 根本原因を
見つけ出すことは困難になる
思い考える思考という整理方法には
脳ミソで定型とし整理し体感と結ぶ
素晴らしい機能である。
そこに古の教えが入ればより性能が良くなる
何故ならば、感情の癖を認識できるからだ。
と、私は考える。
おまけ
現象界、この世での話で、
思考が止まったような感覚
ゾーンに入る
考えず習慣のように動く
時計も見ずにタイミングよく動く
など 思考にとらわれない
感覚優位な動きもある。
全てが思考な訳ではない。
身体や、氣、オーラ、空間の情報や流れを読み動く
動きは絶妙なタイミングとしての記憶
その記憶は
そのときの最適値(最適化)への
思考というプロセスがあって
成り立つパフォーマンスである。
思考を
知識や、こねくりまわした情報を散りばめるだけに使うからオーバーヒートして 迷うし悩む
あらゆる方向の点を線に結び面して使いこなす。
いずれオートマティックでよい流れに乗る為には
思考しないという悪癖を付ける前に、
思考を理解して思考という機能を柔軟に
使いこなすしかないかな と思うのです。
思考しない
ゾーン状態でいる人間ほど、
この世では危ないものはない。