昨日は我が講の歴史的第一歩が形になり現れだした日
この「日」というのも
点であり、経過に過ぎない。
点の連続過程を線とする。
龍と龍神は 別物ととらえる
龍のうねりを波ととらえたエネルギーと
個性格をもった神の活動とでもいうのだろうか。
そんな神の貸し借りやあげるあげない
など、人間側がコントロールできるのだろうか。
できるとするなら生命エネルギー(氣を龍称す)までではないだろうか?と考える。
また人間性を見ればオオヨソどの辺りの霊層とやり取りしているかは察しがつく。
自分の感覚や確信を鈍らせないためにも、自他共に正直である事と、謙虚精進は忘れてはいけないのである。
これも比べる、差をしる、自分を知る
を、成せるから自信と信憑性をもてるのである。
時間というものはベクトルの向きの事である。
物質世界では連続性を含み時間と理解されている。
それは有意義な解釈ではない。
時間という概念は方向であり(点)
時間の進みというものは時空間でなる(線)
と解釈した方が柔軟に物事がとらえられるようになるのではないかとオススメする。
過去が未来へ投影されて今現在になる(過去であり未来)
過去が未来なのです。
過去の行いが今含む未来に反映される。
未来は現在含む過去へ進んでいる。
未来が、私たち今現在に歩み寄ってきている(流れてきている構図)
私、今、というモノは不動であり常に0ポイントを差す。面でいえば0フィールドなのです。
で、なければ個としての尊厳と
イマココ、ライブ、リアル、生、というイキるの意味をなさないからです。
ライフイズマネー 生命とお金の等価は
生命と時間の等価と言い換えることができる。
物質的に数字や形として時間も生命の進みも表すことができるが、質の部分は不確かになる。(表せない部分)
これが時価や価値になる。
ゆくゆくは付加価値となることもw
書いていて思ったわ
価値のある(なる)モノを私は解っていて、付加価値への増加を見越した動きを歩んでいるのではないだろうか。
価値とは他が決めるもの
自分では量れない
だからこそナマモノであり価値がある
イロイロうんちくがでるわぁ…
何にせよ、決める、覚悟、がなければ
幸運も開運も願望実現も ありゃしない。
これから育てていく、育てていただく
神道護摩壇
祈りの可能性は無限大