分からずに(理解してない)ただ「はい」と言っても
真理になる方法があるよ。
師(ブッダ)への純然たる帰依であること。
愚かにただハイハイいって従うのは帰依ではない。
純然たる とは
疑いもなく 混じりけナシに
この方が仰るなら 間違いない。 から
言える「はい」
この「はい」には 途方もない価値(時空間)がある。
この「はい」には 覚悟を越えた力がある。
この「はい」には 崇高な信がある。
現代人には
かなり 高度な「行」なのだ。
だから、
三宝帰依、三帰依
仏法僧 ってそう言うことよ。
勤行次第で最初に出てくるお経は
意志確認。
「出来てるの?」「出来るの?」「やるの?」
そう問われてる。
やります!
やってます!
従います!
(解っているけど出来ないので懺悔します。もOK)
が無かったら
あと、以下は ただ読んでるだけね。
偽善だもの
神仏は全部お見通し。
神仏じゃなくても
良いものだ。とも思ってもいないものをやっても身に付くわけないよね?ってフツーに考えても分かるよね。