メモ書き程度です。
信じるって苦しい
出来てしまえば楽
苦楽は一体
これ真理
相手が自分を信頼してないと決めるのは、自分だよなぁ…。
それって自分が相手を信頼していない事に直結するなぁと私なりに悟って、
信頼するの考え方の質を変えた。
相手を信頼していないの裏には
自分を信頼していないがあって、
自分を信頼してない土台に
信頼という依存を乗せてジャッジしているのだから、
相手を信じる事なんて出来ないよね。
という理論。
この辺りの話の時は「相手の思い」は関係ない。自分がどう思っているか。
私が信頼したい➡️する。に決めたらそれだけ。
裏切られることも、裏切ることもない。
関係性や質量は変わっても、
苦しむ事はない。
注釈
法にしたがった行の立場から見れば、
必ず苦は生じる。
何故ならば、法に従う(型にはまる)必要性は苦がつきものであるからだ。
相手と意見がそぐわない。
相手との和合が難しい。
そんなのは当たり前。
だから 行ずる=自ら行うという
行が成立するのだ。
自分がやると決めなければ変わらない。
どれもこれも
突き詰めれば自分の心次第である。
型だって規律だって課題だって
人間関係だって 事象だって
なんでも、
逃げなければなんて事ない。
逃げれば追われる。
追えば、逃げるもの。(なくなる)
霊的な巡りってそうやって廻ってる気がする。
逃げれば追われて、終われないシステム。
おまけ
輪廻転生を肯定にみたら
人間に生まれたからこそ
やるべき事ってあって
今生でやらないを選択し続けても
いずれやることになる。
やることを 今やるか、長引かせるかの違い
とっとっとやって宇宙の輪廻システムから
解脱したい。