生命の方向はエントロピーを指す
人の精神(霊性)に返すには
狭めるネゲントロピーに収まる方向が必要
ネゲントロピーとはエントロピーが低い状態に保たれていることを指す用語で、エントロピーを減少させる物理量としての意味でも使われます。たとえば、生命は環境に対して開かれているため、呼吸や代謝を通じて環境にエントロピーを排出することで体内のエントロピーを低く保っており、このような作用をネゲントロピーと呼ぶとのこと。
なんのこっちゃだと思います。
話したい本人もそう思うので、
でも、人体を維持する為の行為の方向性と
人体を長期維持する方向性は逆を示す
これは
人体を肉体と霊体と分けたうえで1つとして考えるがゆえの矛盾とパラドックス。
静電三法という本を朗読してくださる方がいて拝聴する。
この本の中では、分かりやすく?(難しい事が当たり前からみて分かりやすく)科学的にまとめてくれていた。
外部からエネルギーを摂取するという事は…
外部の電子を取り入れること。
これは情報でも、栄養でも、同じ
肉体を
若く保つ為には(ネゲントロピー)でいたいわけ
外からの情報は少ない方がいい
蓄積する為の情報も、栄養も。
情報が多い事は熱量も多くなり帯電しやすくなる
呼吸、飲食、意欲も 熱力量(学)だ。
帯電=滞りは 混濁をいみする➡️太る、病気
また、外部からの情報で劣化を起こす可能性が増す。
しかし、肉体は栄養という情報を取り入れないと維持できなく消滅する。
維持するために劣化と帯電を選ばないと、早急に滅に進む事は実に不思議な話しなのだ。
過剰にとらなすぎても、取りすぎても良くない。
そして、排出(放電)する事も疎かにしてはならない。
(運動する、便秘させない、話す、渡す、与える、洗うなど)
霊性からの視点
霊には維持するために他から利益せしめる行為は必要ない。 他から得る(奪う)事は必要ないのだ。
しかし、肉体と共に経験した情報がなければ向上はあり得ない。現状維持は不利益なのだ。
霊器を大きくする行為こそが人体の役割
人間の役割なのだ。
霊器が大きくなければ、神仏との対話は難しく、
霊と肉体のバランスの取れた人体でなければ、
神仏と仲良しにはなれない。
神仏と仲良しにも質がある。
低級でよければ 霊と肉体に分離があっても弱くてもなんとかなるが、人間たるものが下っ腹になって終わる。
(私は喰われると言い表すことがある)
質をあげるためには器の大きさや強度など上質なモノにする必要がある。
それが、自ら行をする意志からつくられる。
実践あるのみの所以である。
肉体の維持のために、霊を含めた人体への負担を強いられ、外部から情報を得る。
霊の器を大きくするためにも、肉体は維持を必要として人体となる。
霊性、精神性は広げて、肉体のみの増大は減らすことが若返る方法
不健全に広がるまま(間違った自由)でいれば肉体は保たない。 心の不健全は老化を早める。
精神(霊)も肉体も どちらも止まることはない
エントロピーの状態で進むことが時間なのだ。