電車移動中、遠隔レイキヒーリングを
していましたら、
時間と言うモノをまた一歩
腑に落とす事ができました。
時間と言う概念は
生きているから存在し流れるわけです。
自分の世界(時間)は自分だけのものであり
それぞれの『自分の世界(時間)』のレイヤーが交差し、
今に反映されている。
自分だけの世界(時間)を意識したとき、
外野(自分に不要な情報)は全て消すことが出来る。
今ここに座ってる自分だけを確認できる感覚
白に近い空間に居ると認識できる感覚
ゾーンに入る。
ここはどこか?と問うと、
「そうか、電車に乗ってるんだっけ」と
電車に乗っていたと認識したことで、
車内がうっすら現れる。
「あっちの方にはどんな人がいたっけ」と問ても
分からない。 なぜなら、
過去の私の時間に存在していないモノは
今にも現れない。
「前にはどんな状況が見えてたっけ」と問と
こんな女性と、こんな男性と、と
白に近い空間にうっすらみえる。
今回経験した現象は
私より遠い存在(気にしていない)として今を流れているモノは
消えてなくなり
私に近い存在(認識した)しているモノは
薄く見えている。
(左側隣に座っている人は、白に近い空間で、容姿や動きが観察できる程度に確認できている)
こういった場合、私との干渉度合いが大きいのではないかと思う。(私が視た!と意識した認識していたと言うこと)
物質として現世に存在するモノは、
目に見える形で時間や距離を経験することが出来るわけで。
確かにここに、形ある「あなたも私も居る」と触って確認も出来るという事だけで、
お互いの「存在している、存在していない」という事では無いのだという事。
触って確認したところで、覚えていなかったら存在はしていない事になる。
時間の概念は生きている者が共通定義したものであり、実際は流れるスピードも感覚も見え方も人それぞれで、誰と時空間を同じにしていたかも本人の意識(認識)により変わってくる。
◎月◎日数人の知人と遊びに行ったとする。
自分の記憶にはCちゃんは居たのに、Bちゃんの記憶にはCちゃんは存在していなかった。という事もあり得るという事です。
きっと、左隣に座っていた方には、私と言う存在は存在していない。
なぜならスマホに夢中だったから。
右側に座っていた人は、私の時間には存在していない。
なぜなら、私が覚えていないから。