地図をみたり車を運転していたりすると「六道」と呼ばれる地名が割とあることに気がつく。(六のつく地名ってわりとありますよね?)
六道と聞くと、私は六道輪廻のことを思い出します。
六つの道… 単純に分かれ道という意味なのかもしれないけど、人生の分岐、パラレル、DEAD OR ALIVEと連想されて深い名前だとおもう。
物質世界での分かれ道 精神世界での分かれ道
六角形(蜂の巣構造)は強度バランスがいい…。
六つ切りとか…ろくって割とある。三の倍数
六道輪廻でいう
地獄 餓鬼 畜生 人間 阿修羅 天
これは死後に行く場所と思われるかもしれないが、現にもこの六道を瞬間瞬間行来している。
私たちの心は自分の意思で常に六道を移行している。
憎しみや嫌悪、憎悪を抱けば地獄
羨み妬み、自我生存のみを沸き起こせば餓鬼畜生
本能のまま自分を甘やかし、貪り怒り冷静に物事を見聞きしないで、自己保身と正当防衛を誤り、低レベルな感情や欲求に振り回されて生きる世界。
死後は今の投影であり、今が死後の投影である。
死んで今であり今であるから死んで今になる。
霊的には終わりのない継続のなか。
肉体は霊魂(大元)の乗り物それが霊と魂の世界
見えない世界と見える世界。
見える世界の現状を自分の天界にすることが、天界へ進める条件である。
だって、今が死後の世界になるのだから。
見える世界と見えない世界と別物で全く関係がないと思っているから、惑わされるし理解できない。
この世は心(意識精神)が造り出しているのだから別物で或はずがない。
それが素粒子の世界である。現代人はソコを解明しようとしているわけで…。
仏教は真理の教科書だとおもう。
全て書いてある。
宗教の話ではなく、科学物理、哲学であり、ビジネス、啓発、カウンセリング、すべての下地となる教えである。しかし、教義上知識だけでは足りない。実践と実感と体得が必要。
何も知らないまま輪廻する無力ほど苦はないなとおもう。
まずは自らが知り悟り、語る(行動)こと。
お釈迦様もこう言ったとか
私はこの話を他の修行者やバラモンに聞いて語るのではありません。
そうではなく、私が自ら知り、自ら目にし、自ら了解したことを、それを私は語るのです。
(引用:『中部経典4』p.347)
教えは自らが欲して、向き合うから使える智になっていく。語る方も経験と深い納得がなければ威力がない。
相手に沁みない。
死んでもなお、不安、恐怖する世界に居たいのか…
そんなのイヤだ!心底思えるなら誰だって心の清浄に勤しむだろうに…。
仏教学院さんのサイトよろしければご覧ください。
おまけ
阿修羅の位置づけだけど、
人間界の下とする説もあるけど、阿修羅的なナニクソ精神が自己の向上に向かい、尚且つ他者への攻撃に至らなければ、人間界よりも天界よりも優れている要素と思っている。
強固な集中力と飽くなき向上心は、偉大になる素質しかない。
天界は全てが叶い、全てが了承される世界
誰が向上を求めるだろう。
地獄餓鬼畜生はいうまでもない…。
人間界は全てが経験できる。
何処に生きるかは己しだい。
六地蔵だーぁ😊