くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

在ることから考えよう。

統計力学は、原子サイズのミクロな世界と、物質規模のマクロな世界を統計的方法によってつなげる物理学である。

個々の原子たちの詳細な様子には踏み込まず、それらの集団としての性質を調べることで物質がもつ性質を説明するのである。

そのためには「人口の統計」ならぬ「原子の統計」を考える必要がある。そこで使われるのがアンサンブルという計算技法である.

 

ミクロな原子の世界とマクロな物質の世界をつなげるのが統計力学であるが、物理学的にはそれぞれの世界を支配する法則はまるで異なる。

ミクロな世界を支配する力学ないし量子力学では、ボールの運動のような現象の時間変化を考えるとき、その時間の進む向きを逆転させた変化もつねに可能である。(時間反転対称性)

これに対し、マクロな世界を支配する熱力学では、エントロピー増大の法則に代表されるように物質の状態変化が一方向にしか進まないこと(不可逆性)を認める。

 

このような異質な理論をどう橋渡しするのかという問題も統計力学の歴史の興味深い論点である。

今まで断りなく用いてきた「ミクロとマクロ」という対立項にしても、もともと別の分野で使われていたのが徐々に統計力学の文脈に持ち込まれるようになったものである。

これは単なる言葉の問題として片付けられることではない。適切な言葉遣いが統計力学の思想を明瞭にするのである。

経済学に関心がある方であれば,「ミクロとマクロ」という対立項について比較してみるのも面白いことだろう。

 

⬆️外国人の著書引用

書籍だったか論文だったか…。

 

 

何が言いたいのか と言いますと。

 

科学的にも物質的にも精神意識、霊識てきにも

在ったものは「ある」と言うこと。

現象として「ある」と意識したモノは

可能性としてあることになること。(見えなくとも)

物質的に「ある」として現れたきとは

確実に「ある」し「あった」こと。

 

 

目視認知する事が現実だと

惑わされる人間は「ない」を考えるより

「ある」「あったなら」「あったから」

を考え(受け止めて)物事の道筋を構築した方が

解決が早い。

 

あるけど 見えない世界

が地球である。

のだから。

 

 

昨今のスピリチュアルは

すぐに「無いことを」意識し、

考えられる事が

優れていると 言いたがるけど。

違うとおもう

 

やたらと 空とは… 無とは… 

という話になるが、ただ識別を楽しんでいて、

ソノサキへ 一歩の勇気もない者が、

空の片鱗も知れるわけもなく、

知識として本やネットから拾った情報はただの

参考にしかならず。 

個人が語る空や無の世界はただの妄想となるわけで。

 

空や無 を体感から腑に落とす、共通認識として

意見交換は有効だと思うわけですが…。

妄想領域を出た「空や無」と言うものは

精神意識のミクロとマクロの理として軸を

うっすらででも捉えてからなせるもの。

 

 

この世は法則性に乗っ取って動いている。

地球や星星の動きもそうだし

暦の動きも、生物の営みもそう。

それが統計学、気学である。

だから

星占いや姓名判断などが成り立つ。

 

地球上に生きている限り

この法則性から逃れることはできない。

宇宙はこれでバランスを取っているから。

 

生命のバランス法則を知らずして、

空の真の意味は理解はできない。

無の領域なんて想像もできないだろう。

(きっと多くの人のいまの常識的イメージでの無は間違っている。)

 

 

生命のバランス法則

宇宙の法則は

型、方程式として存在し、法となり

古い書籍や

宗教や、信仰の教えに伝えられている。

 

学ぶには

人としての器(意)を広げる意志が必要だ。

 

 

近年の人間の行いは

その方程式から外れてきている。

 

なくてよいものが在ることになっていて

捻れている。

 

 

不必要な念は回収していただきたい。