肉体とカルマについて感じたことを書く
いや、書くつもりもなかったのに書いている
って、いうのが本当かも。
右胸を腹の肉を使って自家組織再建した
血管も自前のモノを足の付け根、下腹部周辺の4ヶ所から採取。肉が壊死しないように腹の肉と血管をつなぎ合わせ胸の中身になっている。
生き物の肉体組織は個のつぎはぎで考えることができる。筋膜が全身タイツのようにすっぽり内臓から筋肉から包み込んでいるので一定の形として保たれていて、その上に皮膚がある。
筋膜が骨から臓器からをを包んでくれているから
内包した調和を保っているから体として機能するように思う。
左足のシビレや可動域の変化は、筋膜の癒着によるツッパリから来るのでは?と考えてもみたがどうなのだろう。
内包された組織は大方関係のない手術ではあったはずなのに、肉体にメスをいれると何かしら影響はでる。
筋膜を切ることはバランスを欠くのか (?)
いろいろな学問への興味が順繰りに一定期間で回ってくる。今来ているのは「経絡」だ。
気の流れ
肉体と魂との関係…
個人的には肉体の外にも経絡やツボとも言える道やポイント(?)があって繋がっていると思っている。
それをチャクラとかエーテルやアストラルというのだろう。
そういうモノ(空間)も点と線と面でイメージして楽しんでいる。
イメージというか観想というか… 妄想と言うよりも具体的に思い描く事が実行に繋がるのだと思っている。
霊的な事柄からみると、身体にメスを入れることはモロモロ都合が悪い… 予測はしていたがやはり不利だった。 この事も含めて体験には意味はある🙌挽回と補うの思索を続ける。
肉体に現れる因縁と自身の業はだいたいリンクする。
魂が基だとするなら肉体に過去の癖や歪みが現れてもおかしくない。
病院やケガ、精神的疲労や疾患も、現世の歪みと思いきや、過去からの癖や歪みということも考えられる。
血脈、霊脈、因縁だとしても、回避できずに請け負ってしまっているのは、自分の何かが引き寄せている。
そういう考え方もできる。
魂が肉体を有する意味は、過去からのいらない魂の癖、歪むを浄化するためではないかと強く思う。
地球上に漂う再生不能エネルギーは浄化(クリアリング)して新しいクリーンなエネルギーへ循環させていく時代である気がする。
一人ひとりが自分の不要なエネルギー(魂の癖、歪み)を知り解消していくことは、肉体があるからできる。
そう思うと、霊的存在へのアプローチについてのアレコレや、輪廻の考え方、解脱への勧めも、天体や五行の事も全てが腑に落ちる。
だから宇宙や素粒子、空間や念のことも全てが繋がる。
ただの人として生き抜くこと。
出来ることをやる。
何てことない日常が偉大に思えてくる。
人間の身体は想像も出来ないほどの仕組みになっていて、とてつもないエネルギーを産み出している。
脳ミソは解明されていないことだらけ。
人体エネルギーでスマホ1台分くらい軽く補えるとも思っている。 多分過去にそんな論文も呼んだ。
人が移動することでも相当なエネルギーを産み出している。もっと人体エネルギーや地熱、放電されてる磁気を使ったエネルギー技術が普及すればいいのにな。と思っている。(イロイロ難しいのでしょうけど…)
人体は電磁気を溜めやすい。
体を動かし放電する。歩行と運動は大事。
肉体の先端部分は敏感である。
意図的に先端を造ることで集中した点になる。
手のひらや身体で面を作り、面として空間を移動すると
その軌道上にも空間造られる。
自身と、意図的に作り出した空間とを内包した場は
気流の渦になる。自身も場に溶け込み、自身も流れになれば全身で感じることができる。
想像出来ても実際に動くのはなかなか難しい。
簡単な動きほど出来ない。
本能的行動は考えずに動く(生命欲)
考えもしないので考えて動くことが出来ないw
単純である。
肉と意識(心)と精神が統一した身体は高スペックの創造主になると思う。身口意の神変菩薩
体、表情、姿勢、服装、行為 に現れる心の根。
無意識の癖、本心は駄々もれであるようだ。
気がつくと恥ずかしくなる(笑)
自身の癖は気がつきにくい。
そして、癖を甘くみている…。
自己コントロールは気がつかないので難しい。
イカサマを見抜く力を養いたいのであれば、
他者への言葉は全て自分に言い聞かせているのだと知ることだと思う。
気がつくとかなり恥ずかしい。その悔いが戒律への戒めにもなる。 精進。
蓄積された悪業が身体に宿っている。それを清浄するには 正しい知識と見解と言葉を身に付けること。
性根、心の根っこへ浸透させ、自身の常識にまで腑に落とすこと。
当たり前のことが実は一番難しい。
なぜなら、当たり前を知らないから
見えていないから。
丹田のイメージが変わった。
格納庫の火種を凝縮させた最小点は最大化する
ここも等価と反転。ぐるっと回っているようだ。
五感があり感情があるから魂が磨ける。