ねぇ…知ってる?
私たち生物の意識は繋がっているのだと。
共有しているのだと。
世界を創っているのだと。
■自由に時空を移動する魂と同じ血族に留まる身体感覚意識
私たちは二つの存在から成っています。「魂」と「身体感覚意識」です。アカシャではそれぞれ魂をトライアード、身体感覚意識をダイアードと呼んでいます。身体感覚意識という呼び方は馴染みがないかと思います。身体感覚意識とは私たちの肉体を作っているエネルギーでそれは肉体が無くなった後も継続して存在し同じ家系の中で転生します。
人間としての私たちの50%は身体感覚意識のエネルギーなのです。魂としての私たちは「始まりの瞬間」にそれぞれがユニークな意識の表現体として創造されました。
みんな同じ瞬間にユニークで決して改変出来ない存在として創造されたのです。創造された瞬間から全体であり完成された存在でありより高次元へは進化しません。これに対して身体感覚意識は不変ではなく進化する存在です。
身体感覚意識は潜在意識とも呼ばれ初めて物質が地球に生まれてからの何億年もの記憶や知識が入っていますから深遠かつ広大です。
この身体感覚意識は死後魂から分かれて感覚意識体として継続し新しい肉体を作って転生を継続して行きます。
誕生の時は既に身体感覚意識の入った肉体に魂が降りて来ます。それは胸部の内分泌線である胸腺という所を通って肉体に入ります。人間の体というコンセントにプラグを差し込むような感じで魂は胸腺から体の中に入って行きます。
そして魂が体の中に入ると体の中の網の目のようになっているエネルギー・グリッドに広がって行くのです。魂が自分の中に入って来た時に身体感覚意識は自分自身を知る事が出来ます。
そして生命が何時始まったのか最初の瞬間を見る事が出来ます。魂はこの創造の中の詳細な部分まで知る事が出来ます。
魂は何時でも始まりの瞬間を知っています。そして身体感覚意識というのはその始まりの瞬間は分からないのです。
身体感覚意識というのは最終形体というのを知っていますが魂の方は何時でも最初の瞬間、始まりの瞬間に固定されています。
その2つが一緒になる事によってマクロの視点とミクロの視点が両方備わるという事です。そうする事によって身体感覚意識が自意識というものを獲得します。
魂が入らなくても肉体そのものは生きて行く事が出来るのですがその肉体は誰かに食事をさせて貰わないと生きて行けない状態です。他の動物は魂に頼って生きてはいません。でも人間の肉体というのは魂に頼らないと生きては行けないのです。
(「超入門アカシックレコード」より)
「魂」は始まりの瞬間に生み出された永遠かつ究極の存在であり、それ以上に進化も変化もせず形も境界も制限も一切ない広大無辺な存在である。
「魂」たちはそれぞれに完全なる自己を備えながら他の「魂」と結合し完全なる自他一体を形成してそれぞれの情報を共有(シェア)する事が出来る。
そうして、各々のソウルグループそして更に人類全体の巨大なソウルグループを形成している。アカシックレコードとは「魂」たちが地球での体験を共有(シェア)する為のシステムである。
正確にはアカシックレコード(アカシャ)は個人の人生の記憶でありそれが複数集まったもの。
アカシャはエネルギーの構造体(マトリックス)でありそれは思考・想念エネルギーの帯とも言えるものであり実際に形体を現実化する為に使われるエネルギーである。
「魂」たちはこのような基本的な想念エネルギーが、既に存在している所、アカシャがある所にしか肉体を持って生まれる事が出来ない。
地球という場所には既にアカシャが存在していたので「魂」たちは肉体を得て生まれる事が可能だった。
地球には「身体感覚意識」という地球上の物質が地球の永い直線的な時間の中で進化して意識を獲得した存在があり、それらは地球上の生命に宿りその肉体を世代に渡って形成している。
もう一度言います。
アカシャを通して人間(自我)は体験を共有している。
その合一(ユニティ)の意識状態では全てが明白であり想念により物質を生み出していた。
しかし、意識状態が分離を迎えると人間(自我)は分断され失われた。かわりに知性を発達させたが、それは人間(自我)を更に分断し物質的な世界観に閉じ込めてしまった。
アカシックレコードに誰もが常に無意識にアクセスしているがほとんどの人間(自我)は気が付いていない。情報は時折アイデアやインスピレーションとして降りて来る程度である。
満足して生きたいのなら
体験経験ありきですなぁ…
そして、学ぶこと。
互いに共有と確認作業を繰り返す事が
安寧への近道
知らんけど😁