森羅万象の一部になれば
全てがうまく行く
それが自然だから
人間は多いにそれができていない
分かっていても解ってない。
頭の理解は不要で (頭の理解が必要な時もある)
心の理解も不要で (心の理解が必要な時もある)
体験体感からの納得一本で
そうせざる得なくなる。
(これが遠回りに感じても近道)
それが自然だから
委ねるって そういうこと。
不安も誤解も 憤りも 全部
委ねる。
ちがうんだよなぁ… と思う事も
解るけど知ってるけど、
解ってって委ねる (諦める、受け入れる)
それが人間は出来ない。
覚悟、勇気、勢い が必要だから。
覚悟 決めてしまえば
そう成らない訳がない。
この世は意によってできている。
おまけ
梵字にも作法にも 術にも
順番や道理、意識の持ち方、向かう先
目に見えないルートがあって
それらが揃ったとき、望む力になる。
やみくもに型だけ
揃えても、行動しても
発しても、意味をなさない。
道とつく智慧のなかには
(茶道華道剣道柔道…)
そんなのが いっぱいつまってって、
1つ2つの見方じゃ理解にならない。
多方面の理解と解釈と推測と憶測と
経験と実態と体現と…
人の行いには全てが現れている。
私には恥などない
恥ばかりだからだ。
私には何もない
だから私には全てがある。
有るものが有ると
無いものにも縛られて影響を受ける。
有るものも無いもので有るものなのだと
忘れては行けない。
それは私の大切なものだけど
私のモノではなく
私なのだが私でもなく
守りたいモノですが、
守らなくてもよいもの。
だからかぁ…。
覚悟よ
決めたんでしょ?
決めたのだ。