くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

祈りについて

肉体と目には見えない力と

自分のエネルギーと バランスを取って

生きている。

 

昨夜は祈りについての勉強会を行いました。

私たちに今必要なのは心底からの

「降参する勇気」かと思いました。

祈願祈祷「祈り」とは自分都合でないところの心じゃないかと…。いう傾向でエンド。

 

技術的なことから

感覚的なこと

疑問や受け止め方から姿勢

などなど、

つきることない議題でした。

 

祈りと願いの違い

価値観や捉え方など千差万別十人十色なので

これ!と言う答えはないけれど、

一度くらいは誰でも、必死に願った事があると思う。

あの必死さに 

「やることはやった、後は祈るしかない」ように

明け渡しのような気持ち

開き直りのような感覚

ひれ伏す、降参するしかない度胸

の精神状態に

願いは他の為に…の精神状況が

かなり純粋な祈りに近い感覚かと思うのです。

 

修練や学び、体感として

自分を空(カラ)にする事ができる人はそれに越したことがなく、宇宙の根元エネルギー(光明)は自我が詰まっていては扱えないモノです。

我があってはまっさらなエネルギーではないからです。

 

ここも巡り巡っては利他も自利になる訳だけど、

この宇宙法則 

エネルギーを理解する、意図として扱う、体感するは、

清く正しく智慧『法』を解っていないと

人間には難しいモノになります。

 

『法』とする智慧は人間には必要不可欠なのです。

 

森羅万象の1つとして

自由に自分のペースで自分のやり方で、学ぶ、生きる。 それも良いのですが、それは人間としての最低限事項なだけであって、本当の幸せや安寧(安心安全)にはなりません。

他者→自分になるわけだから 

注意、自分軸と言う絶対に動くことないシンがわからない人は古の智慧(経典、師匠など)教えに沿ってまず自分を満たすことからです。

 

意識の幅を伸ばし、高さ深さを増やし

心(思考と意識)を養う

それが人間の生きている醍醐味となるのだと思います。

 

純粋の祈りが全人類でできるとき

そんな日が有るのか無いのか…(笑)

 


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