肉体と目には見えない力と
自分のエネルギーと バランスを取って
生きている。
昨夜は祈りについての勉強会を行いました。
私たちに今必要なのは心底からの
「降参する勇気」かと思いました。
祈願祈祷「祈り」とは自分都合でないところの心じゃないかと…。いう傾向でエンド。
技術的なことから
感覚的なこと
疑問や受け止め方から姿勢
などなど、
つきることない議題でした。
祈りと願いの違い
価値観や捉え方など千差万別十人十色なので
これ!と言う答えはないけれど、
一度くらいは誰でも、必死に願った事があると思う。
あの必死さに
「やることはやった、後は祈るしかない」ように
明け渡しのような気持ち
開き直りのような感覚
ひれ伏す、降参するしかない度胸
の精神状態に
願いは他の為に…の精神状況が
かなり純粋な祈りに近い感覚かと思うのです。
修練や学び、体感として
自分を空(カラ)にする事ができる人はそれに越したことがなく、宇宙の根元エネルギー(光明)は自我が詰まっていては扱えないモノです。
我があってはまっさらなエネルギーではないからです。
ここも巡り巡っては利他も自利になる訳だけど、
この宇宙法則
エネルギーを理解する、意図として扱う、体感するは、
清く正しく智慧『法』を解っていないと
人間には難しいモノになります。
『法』とする智慧は人間には必要不可欠なのです。
森羅万象の1つとして
自由に自分のペースで自分のやり方で、学ぶ、生きる。 それも良いのですが、それは人間としての最低限事項なだけであって、本当の幸せや安寧(安心安全)にはなりません。
他者→自分になるわけだから
注意、自分軸と言う絶対に動くことないシンがわからない人は古の智慧(経典、師匠など)教えに沿ってまず自分を満たすことからです。
意識の幅を伸ばし、高さ深さを増やし
心(思考と意識)を養う
それが人間の生きている醍醐味となるのだと思います。
純粋の祈りが全人類でできるとき
そんな日が有るのか無いのか…(笑)