くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

無知は最強?!

武甲山での登拝以降

無知と言うことに 興味が出て

私はなにも知らない……と日々思うのです。

お医者さんの知ってる事を知らない

ケーキ屋さんの知ってる事を知らない

車屋さんの知ってる事を知らない

農家さんの知っている事を知らない。

モノが作られる過程も素材も

……

友人の事も、よく考えれば

知ってることはわずか。

家族の事ですら そうだ。

……

 

個人が知っている事なんて、この世の全ての情報からしたら微々たるもので、しかし、それでも個人は生きていける。

逆に言えば「知らなくてもいい」訳で。

 

知らない事を知らない のだから困らない。(笑)

 ↑と、言う事を「知ってしまった」のだから

無知では無い? とも言える。

 

人間なんて「常に無知である」と思うことの方が

ちょうどよい気がする。

 

はたまた、知らない事を知らない のは、

素直、純粋、無垢とも言える。

「概念」「観念」が無いからだ!

これは強い…… Σ(´□` )

 

ムムムっ… どちらが良いのか (笑)

 

純粋無垢は最強だよな(赤ちゃん)

でも深まらない…

広がっても 深まらない… (  ̄- ̄)イメージ

 

中途半端に知ってしまって、

「知った!」と思うことが一番たちが悪い

(以前の私だ… 懺悔)

 

 

 

そんなこんなで

「入菩提行論」

入菩薩行論 - Wikipedia

と言う経典があることを知った。

解説本もわりと多数出ている。

(解説本は好みも出るので紹介は割愛)

 

「菩提心」と言う生き方

コレダ! と、思った。

多くの人は信じられないかも知れないが、

「本当の幸せ」「本当の慈悲慈愛」を知る事は

なかなかハードなのだ。 簡単ではない。

ここまでネジ曲がった世の中で己すら正すのは

人類にとっては苦そのものだろう。

だとしても、近いうちに「悟り的思考」「仏性」を

理解したものがこの世(物質世界)でも勝ち抜ける日が

来るはずだ。

 

日常生活を全て悟り的活動行為に没入するのは

無理だとしても、知識や行動として

「知ってみる」べきであると考えている。

 

また、

「伝える」「伝播」「伝達」と言う行為

自分が感じたこと。

自分が学んだこと。

自分が実践、体験したこと。

 

古の智慧、叡智を伝えていく。

変わらない教えが「生き方の法」

 

それが悟り的思考、仏性 精神性の

髄 (シン) なのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

最近やっと……

やっと、お釈迦様を近くに感じるようになった。

 

今までの私の祈り曼荼羅(意識の中)には

お釈迦様のお姿はなかった。

 

私の感じているお釈迦様はとてもCOOLで

合理的で、ビジネスマン。(つーんとしている)

それは変わらないけれど、

芯が強いあまり、強引な面もある

こだわりが強いが、

優しい人と言うイメージも現れた。(笑)

ストイックな事は違うまい。

 

 

人間は己を知れば知るほど

自己に失望し、ドロドロした欲に嫌悪するだろう。

そういう思いの先を「凝視」できた者が

気づきの先、悟りの先に行くのだろう。

 

師に出会い

釈尊に出会い?

場が整う。

 

「おまかせモード」に切り替わるのも近い

(きがするぅぅ)

迷わず進もうと思う。

 

最後の切り札は「信じる力」だ。

 

 

 

発菩提心 真言

#おん ぼうじ しった ぼだはだやみ

三昧耶戒 真言

#おん さんまや さとばん

 

この真言たちの頼もしさを知りました。

 


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