お釈迦様の時代
お掃除だけを行い悟った人がいる。
周利槃特(しゅりはんどく)さん
物覚えが悪いから
掃除だけでも達者になりなさいと
与えられた行(役割)
お釈迦様はやがて、一本のほうきと
「ちりを払わん、あかを除かん」
という言葉をシュリハンドクに授けられます。
それ以来、シュリハンドクは掃除をしながら、お釈迦様から与えられた言葉を必死に覚えようとしました。
ところが「ちりを払わん」を覚えると「あかを除かん」を忘れ、
「あかを除かん」を覚えると「ちりを払わん」を忘れます。
それでもシュリハンドクは、掃除三昧を毎日続けたのでした。
このように仏教では、掃除をすることは、非常に大事なことです。
自分のいるところをきれいにし、身に付けているものをきれいにします。
それにしたがって、心もきよまります。
こうしてシュリハンドクは、掃除三昧を20年間続けました。
その間、一度だけ、お釈迦様からほめられたことがありました。
「おまえは、何年掃除しても上達しないが、上達しないことにくさらず、よく同じことを続ける。
上達することも大切だが、根気よく同じことを続けることは、もっと大事だ。
これは他の弟子にみられないすばらしいことだ」
仏教の教えの通りに、よく長期間の努力精進に耐えた甲斐があり、やがてシュリハンドクは、ちりやほこりは、あると思っているところばかりにあるのではなく、こんなところにあるものか、と思っているところに、意外にあるものだということを知らされます。
それを通して自分の煩悩が知らされ、
「自分は愚かだと思っていたけれど、自分の気づかないところに、どれだけ愚かなところがあるか、わかったものではない」
と驚いて、ついに掃除一本で阿羅漢のさとりが開けたといいます。
(引用:日本仏教学院 周利槃特とは?)
継続は力なり✨
これが正命
正しい生活から悟りをえる。
つまり1つだけでも極めれば悟れる!
だって、
真理とは全てに適応できる方程式だから
\(^-^)/
実生活(里行)こそが最大の行場
里行でより良い生き方を模索し実践(大乗仏教的)できない人が、真を目指す僧侶のような生活ができるわけないよ。(上座部仏教的な活動)
ユルさと、ストイックさの塩梅
イイカゲン♨️を知ってから
更なる高見を行くから生きた行になるわけで、
生きた生き方っていうのかなぁ…。
おまけ
八正道
はっしょうどう[s:āryāṣṭāṅga-mārga]
八つの支分からなる聖なる道の意。
苦くの滅めつに導く八つの正しい実践徳目。
<八聖道はっしょうどう><八支正道はっししょうどう>ともいう。
1)正見しょうけん(正しい見解)、
2)正思しょうし(正しい思惟しゆい)、
3)正語しょうご(正しい言葉)、
4)正業しょうごう(正しい行い)、
5)正命しょうみょう(正しい生活)、
6)正精進しょうしょうじん(正しい努力)、
7)正念しょうねん(正しい思念)、
8)正定しょうじょう(正しい精神統一)の八つをいう。
釈迦しゃかの最初の説法(初転法輪しょてんぼうりん)において説かれたと伝えられる。
また、苦楽の二辺(いたずらな苦行と欲楽にふけるという二つの極端)を離れた中道の具体的実践方法としても説かれる。
(引用:『岩波仏教辞典』第二版)
正しいアレルギーの人には寒気するんじゃない?
正しさってあるんだよぉ(ナントナント)
正しいの線引き
正しいの柔軟さ
正しいの見抜き方
が解らないから迷うんだよね。
それは物事を浅くしか見ていないから。
この浅く見ている
事さえも言われてピント来ない人は来ない。
喜びの裏には何がある?
事象の動機は?目的は?
自分へ向けた疑問から
外界への答に変わる
視点が変わる。
繰り返し。
おっと、忘れてた。
お釈迦様は、できの悪い(と言われてた)周利槃特の事を決して蔑んで「掃除だけしてろ」と言った訳じゃない。継続する力を見抜いていたから彼に的確な行を与えた。
(お釈迦様の待つ行よw)
あと、謙虚さと師への素直さね。
真理の方程式は全てに共通する。
自分に出来ることから、最適な役割へ。
これ、独りで見つけられるんかなあ…ある程度、経験がないと難しいかもなと私は思う。だって、現代人の思考の癖ハンパないもん。
強がって独りで進むならどーぞ。
まず、信じなくていいから疑うな。