くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

読経も🎼ミサ?讃美歌だよね

先日の土曜日は龍王祭でした。

 

出席人数も増えて

和室へ下がって参加

中央の割には音の共鳴が緩やかで

堂主の声がよく聞き分けられた…

でも、なぜか不完全燃焼気味

 

当日の講話終了後の雑談の時

今日の勤行は合っていなかった

という意見を聞いた。

 

合ってないから堂主の声がよく聞こえたのかな?

理解できるような違うような…。

 

読経も音楽なので、

ハーモニーが共鳴すると

それはそれは素晴らしく✨

出席者全員がキモチがイイ はず。

 

音がバラバラだと

想像しなくても「そうだろうな」と言う

残念な感想になるだろう…

 

 

法螺貝も錫杖も 法の道具ではあるが

楽器でもあって…。

なおかつ祭というのは

気持ちを合わせるものでなくてはならず。

 

誰に?どこに合わせるの?

と言えば、

当たり前のごとく堂主となるわけで…。

 

 

勤行次第を暗記してる人も

祭祀の時は次第を目でおい

音に耳を傾け

音をひとつの旋律に合わせよう

と意識してもらいたい。

 

ザックリいうと神仏と向き合うことは

私と神仏との対話

なのかも知れないけれど、

私とするくくりには

(私たち)も含まれるべきである。

 

これを行者らしくいうのであれば

利他行の1つかと思う。

 

 

 

読経は馴れてくると

独りよがりになりやすく

自分の音に酔う可能性が高い

(自分の言霊のハウリングに気持ちよくなるからね)

 

そこが解ったのなら

次は意識をナチュラルに保ち

音を聞き旋律に合わせるを実践してもらいたい。

 

 

と、言う

私も日々精進

 


f:id:kuronekokuuman:20221107160245j:image