くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

つれづれ

 

読経の共振が確実に行われると、実に滑らかだ。

合わせるにも音を探すにも解りやすく

自分がどの旋律辺りに落ち着けばいいのかまで、

勝手に合わさっていく…。そんな感じ

郊外でこのシンクロ率は始めてだ。

感無量 

合掌🙏 

 

 

 

 

 

見る見られる の空間で物事を考えると言うことは

視座をあげて「観て考える」事になる。

これは自分が、

見る見られるプラス観測者になるといえば解るかな。

見る見られるは、客体(相手側)も等しく有ると思わなければいけない。

【主体(しゅたい)】とは、

「私」だったり「自分」だったり「何か物事をなしている中心」のことです。

【客体(きゃくたい)】とは

「対象となるもの」であり「意識から独立して存在する外界の事物」です。

 

 

 

 

 

物事の道理を整理するには(心や行動も含む)

本尊あっての私たち

まず考えるは御本尊(御神体)

だよと、

智慧ある指導者は教える。(思想がある)

それは因縁の働きから見ても、

実に利にかなってる動きであり、

とても自然で苦しくない流れとなる。

 

 

 

 

 

 

今日のCLUBディスカッションは

ハイレベルでコアな話となった。

個人の対外的レベルアップと

外層のグラデーションとポジショニングが

大幅に変わる予感がする。

(個人的な領域の話だけど、他人事ではない気がしたので記入しておく)

これから挑む先は、より本物思考の領域だと思うので、繊細ながらも瞬発的な直感も生かし、目的(フラグ)は明確であるように勤めよう。淡々と中庸

 

 

 

 

 

昨日、自分でカードリーディングを施して

出たカードは「無い」と「無」と「満」だった。

思い付いた事は

「私らしさって?」という問と

無いから作る創造と

有るものからの智慧を得ること だった。

 

この数日「自分らしさ」について思うときがあり、このまま続く訳もない…とぼやっと考えていた。

自分の座標が明確に定まってない

波にも点にもならず 

なれることも忘れている感覚

「無」であるが「空」とは違う

悟り的な無や虚、というよりは

役立たずがちょうどいい感じ。

 

この空虚に感じる時間は哲学的でありながら

意味がない。

覚悟して諦める の連続と

自ら役立つ何者かに為ろうとする願望を断捨離する

自己研磨作業

 

この世の

存在だけでいい面と

お役目を行使し続けねばならない面

両立する事

 

私らしさを追えば崩れるし

私らしさがなければ味気ない

永遠の追いかけっこ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時空間の話でさ

イマココの0は収束しているが

空間を広げて見ると

イマココの連続である=生命

アニメーションの1コマを

イマココに例えるなら

生命は連続して流れるアニメーション

フレームそのまま。

現実世界もアニメ投影と同じ

物の実態も連続が継続しているだけ。

 

 

 


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