龍王祭の翌日は
摩利支天のご縁日ということもあり
札所10番「大慈寺」近くの摩利支天堂へ
なぜ、ここに摩利支天?とずっと気になっていた。
大慈寺へご挨拶のお勤め
いざ摩利支天
民家の間を山に進み石段を上がると
思ったより遠くはなかった…
まずはご挨拶
直感で
👉三種太祓
(ひふみを使いたい…と思いきや出ず)
👉光明真言
(急に緊張する…)
👉般若心経
(まくし立てられる…感じ)
(そして失敗…)
「マジか❗」となる、
気を取り直して
般若心経2テイク目
(成功)
(読経中に錫杖が気になる…)
👉摩利支天真言
👉諸天総呪
👉陀羅尼
👉本覚讚
👉回向
はじめましてだから
心は『はじめまして仲良くしてね💓』
だったけど、
どーも気楽というノリは気に入らなかったようです(苦笑)
境内を拝見して
ありがとーをイッパイに
帰ろうと思うと またしても錫杖…
と言う思いになる。
(後ろ髪引かれるってこんな感じ…?)
もう一度般若心経あげるか?
どーしようという思いにもなりながら
また来るよ!と
階段をブツブツいいながら降りていった。
考え事をしながら
大慈寺の駐車場まで来ると
見覚えのある車が…
(曼荼羅小屋メンバーじゃん🎵)
急いで大慈寺へ戻ると会員のT君がお勤め中
摩利支天のご縁日だし
お時間あればどうですか?と
誘ってみる。
もちろん答えは「YES」
そして、迷わず読経でご挨拶するT君
小さい声でT君に合わせ声を出すわたし。
速めの般若心経には関東振りで錫杖を🎶
キター\(^-^)/
いやぁT君に会えたのも
ご縁ですねぇ
ありがとうございました。(笑)
スッキリ(*^^*)
(だったら帰らずにやれ…ですね😅)
摩利支天さんは
錫杖の音も(お供)欲しかったのだ
と納得してお堂をあとにしました。
ここの摩利支天さんは
地元の剣術家加藤平八から
気楽流柔術十四代本橋惣五郎が譲り受けたもので、
以後はこの地域の人がお祀りしているそうです。
明治43年に小持山にある持山寺の
阿弥陀堂を当地に移転し、
武道家の守り本尊としたのが
摩利支天堂のはじまりなのだとか。
秩父は剣術も盛んだったらしいよ。
地元の人に聞いたのだけれども
このお堂の下をトンネルを通す話が
あるらしいけど、計画が進んでない。
プラス
予定していた田畑をまっすぐに延びている
新しい道がずれてきている
とのことで…。
地元のおじさんの
指差す先の道はお堂に向かって直線じゃなく
左にズレていました…。
神様じゃなくとも、家ノ下にトンネルは
落ち着かないよね(笑)
そういうことです。
合掌
追記入
お堂の中は暗く、
本尊は扉が閉じていて拝見することはできずでした。