秩父曼荼羅小屋 大峯ワークは
護摩供養で締め括るように
企画されている。
師、先生のお考えなのだと思う。
イメージや意味として
護摩供養が最後の行事となることは
納得のいくところではあった。
そこに、体験をすれば尚更
腑に落ちると言うもの。
野外での供養場で
参加者と共に、
龍泉寺の僧侶による式の緊張感もまたヨシ。
不動明王真言や般若心経を声をあげて
読経し、
目の前に炎が上がる。
このシチュエーションは
自然に
祈りに集中するしかないのだ。
皆との一体感や、炎の迫力も
感慨深いが
無心に祈ること。
そこにつきる。
前回のブログ同様
私は今回
祈りと空間と、感謝と間と、
抽象的に感じとる部分の学びが
大きかった。
外側では炎と読経の音
人の気配とありながら
内側では
ただ、祈る
この爽快感?はある種のトランスである。
自分の内側からただ祈ることの尊さを
体感したのだ。
こんな経験を複数人と共有できることは
普段の生活ではあり得ない世
記憶として大切にしていきたい時間だ。
実践と経験と
新たな体験をするために
ココに居る
あー 生きている。