AIの進化と人間の進みを
考えると、
意+識=霊(性)のことしか見えてこない。
人間が現行のまま生きて、
霊を軽んじていると
AIの正しさが基準となり
テレビ崇拝者とおなじ末路に。
疑うのではなく感じ取るコト
(私の場合なんでそう言う結果になるんだろ?と考えだして、正しい正しくないよりもプロセス、道、と点や捻れポイントが気になってしまうから思考(推理推測)が始まってしまうことがある。それでも感じるセンサーは鈍らせないでいようと思う。)
多様性と自我の分類と共存と統合
(境のグラデーション)
が同時進行で使い分けれるか。
が、問われている気がする。
(立体曼荼羅をイメージで描けるか?)
シランケド。
おまけ
私、自分、自我、と言う概念、感覚は
肉体があるうちは必要だけど、
強すぎると「感じ取ること」の
バランスが鈍る。
(肉体があるから感じれるのに、肉体ありきの自分可愛さで霊性部分が鈍るって、人間ってパラドックスぅw)
仏道やヨーガでは
自我なんてない と究極的マクロ(広い視野)
視点から理論構築される訳だけど…
言ってることは分かるよ
そーなんだけどぉ
マクロ(宇宙的視野?)「それがイイコトなんだ」と
先走って脳ミソだけ理解先行型人間は
筋道、道理を知らずして行ってる
その行いが因縁(物事にも人間関係にも)に
「捻れ」を生じさせる (事を知らない)
自分とは、他者とは、の優先順位と
心理の精査(整理)(感じきること)を
疎かにしないことが重要だと考える。
(自分の心の筋道確認だな)