我が家に熱心に布教にこられる方がいて
かれこれ うん十年…
祖母も母も入信はしないが頼まれるがままポスターは貼っていた。
なぜかと聞いてみたら
「他の勧誘は来ないでしょ…」と…
ダミーかぁ (笑)
あれから数年
私が田舎に戻っても、まだ定期的に来る彼女は、
本が出版されれば本を持って来る。
とりあえず話は聞く
しかし、矛盾が見える。
彼女のいう話は、先方の伝道師が仰っているだろう(仰ってた) 道や教えとそぐわなくなる。
なぜそういえるのか…
実家にあった本は引っ越し前に読んだし、
それなりに情報はみたりしていた。
理が嘘になる瞬間
めちゃコンパクトに言うとこうだ。
信仰は自由 全ては同じ
全ては1つ この方しかいないの。
私:えっとー 誰を信じてもいいんですよね?
偉大なるそのお方は全てなので、大日如来だろうが、キリストだろうが、アッラーだろうが、シヴァだろうが…
彼女「そうです🎵」
私:ですよね
じゃー そのお方を崇拝しなくてもイイのでは?
大日如来だって そのお方
キリストだって そのお方
プレアデス星人だって そのお方
何を信仰対象にしても同じですよね。
彼女「全てはこの方だけなの!」
私:だから、別に入信しなくても同じですよね。
信仰の対象は好きな相手でも同じでしょ。
全てがそこなのであるなら…。
という話が しばらく続きます。
偉大なるこの方のお話。
そして 手帳に名前を書かせようとする。
彼女「…この方だけだから…。」
私:(布教)それ言っちゃダメなやつだよ…
宗教の嫌われるイメージを作っているのは
熱心な信者 実に残念だ。
この方だけ…に最終的に持っていこうとする方法。
この方だけが救いだと、この方だけを信じれば救われると…。
私も信仰に熱い分類なのでしょう。
だからこそ、彼女の行いが気になる。
言いたいこともわかるし
間違いじゃない
ただ、
間違いじゃないのは対象を信じる者にのみ適応する。ということ。 これは信じる力の切り札なのだ。
偉大なるこの方が 本当に全てであるなら
森羅万象 全ての生き物 全ての命
すべての事象に出現し微笑んでいるはず。
信仰や宗教、崇拝対象や 神仏など関係なく
その事に気がついた人は安寧を得る。
違わないのに 違うんだよー
めっさ複雑