くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

腹を決めると苦が苦でなくなる道は…

 

「仏教とは努力の教えだ」と言う人がいる

確かに…そう思う。

 

神社は好きだけどお寺は苦手 と言う人は

高い確率で縛られる感覚(概念、考え方、印象)

を嫌う人が多い。

それだと、自分の持っている素質のそこまで

しか、深さも高さも広さも 

捉える事が出来なくなってしまう。

 

自由とは…と言う話がしたくなるが今回は止める

 

自分の弱さから来る

無意識に培ってしまった正しくない習慣

(自分にあってない習慣、本願を遠ざける習慣は努力で突破するしかないのである。)

 

本当はみんな知ってるくせにぃ…( *´艸)

 

 

 

神道と仏道

 

この世の仕組みは太極図のように

1つで2つ

2つで1つ

 

が絶対的基本。

すっげー忘れちゃ行けない

常に持ってなきゃ

考えていなきゃいけない法則

 

物事の因果や理論も

そこから細かく分岐が始まる

これは科学や物理、

現代的学問も同じ

 

日本は古くからその教えが出来ていた。

だから現代の生活のなかに風習や教訓として 

考えもせずに習っている行事や考え方が

脈々と続いている。

 

形式や見栄え、意味や理由が変わろうとも

続いている行いがある。

それも1つで2つ 2つで1つ

につながる行いであるはずだ。

 

神道の自然信仰と皇(祖霊)を基盤に

仏道の物事の正しい行いと慈悲精神

がそなわってやっと

精神意識の拡張と覚醒が成す

それが、この世の仕組み。

 

神だけを崇めてもダメ

仏だけを敬ってもダメ

見えないエネルギーや教えだけを習い追ってもダメ

物質世界で物質として「ある」私達生き物は

肉体と脳だけで認知する問題をそれだ!と決めつけていてもダメ

 

神々の教えと

仏たちの教えと

両輪で肉体と脳へ血肉にすることで

人間の隠された力と叡知を知ることが出来る。

それは、

物質同士が干渉し合い、自分の想いだけではどうにもならないことがあるこの世だから得(選)られる力。

 

その理屈が理解できたものから

(理解したらやるしかないから)

苦のない領域へいけるのである。

(俗に言う天界)

 

イマココに腹をくくり

イマココを知る

そうすれば自然に過去も未来も解ってくる

 


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おまけ

 

神々にだって死がある (理由は割愛)

天界にだって苦は生じる

つまり

現世に居たって

天に居たって同じだと言うこと。

ただ、天界では他者(外部)からの干渉影響からの苦はめっぽう減るだろう。

その分内側から沸いてくる苦が強まる。

(天界だけに少しの悪意も大きな苦となる)

この考え方は量子論そのもの。

仏道は量子と哲学を経典に込めた教え

 

それなのに、仏道をめんどくさがるの

なんでだろ…。と思う。

(抗う方が不利益だよ)

と、同時にわからない(解りたくない)

理由も読めるから仏教ってすごいと思う。

(読めるからこそ肯定出来る)←智慧の明よ

 

そして、

現世に居ながら いや、

現世に居るからこそ出来ること

死んで望む世界に行くには、

天界に住まう神を越えるには、

仏教(仏道)の教えしかないのだ。

 

神道と仏道と世俗の習いとお役を学べる道

それが、修験道だと思う。