数ヶ月まえの出来事の追記になります。
以前、頭では分かってるつもりで
実践が伴わず出来なかったことに
猛省して、神仏に懺悔したい気分になった
108回お経を唱えたら消化されるだろうか…と
静果先生から冷静に
「自己満足だから辞めなさい」と
言われたことがある。
まさに。
反省をやりとげたいと言うエゴ(笑)
それも分かっちゃいるのに
許しを乞いたい?
とにかく反省がしたい?
誰かに受け止めてもらいたい?
話を聞いてほしい ってやつ
神仏への集中で発散させたいもあるかも。
そういうモヤモヤを神仏へ向けるって
神仏様聞いてくださいよぉって
言ってる訳だな。
うわ、ウザイwww
神仏が人間と人間のやり取りで
人のことを責めるわけないのにね
イザコザの間に入れるなと、
言ってそう (笑)
結局のところ自分は
神仏に対しても失礼だけど (苦笑)
自分に言い聞かせたいんだよなと。
自分で自分に言い聞かせるのに
神仏を使って言い聞かせる。
こういう行法もあるだろうけれど…
これだけ反省すれば、
これだけやれば相手にも
分かってもらえるだろうと言う
思い癖(ださん)があったりしたら
尚更に 失礼なのかなと… (苦笑)
それ、イカンな 違うなと。
脳ミソ(思考)では判ってるつもり。
でも、心(エゴ)は巧みに自分の弱さを
正当化させたいから
もっと言えば美しく浄化したいから
神仏へ向けるのだなと。
神仏って神聖なイメージじゃないですか。
神仏へ懺悔ができる自分はイイ人みたいな?
結局、自分に言ってるのにね(笑)
アピールでやる懺悔と
ドが過ぎる行は 美しくないな と。
なんだろうな…
粛々と清い姿勢である反省が
清々しくていいかなと。
本来反省なんて
自分で静かに向き合って行えばいいわけだから。
気持ちを整理して沈めるためには
ぐっと静かに心を静観(内観)する
禅定か…。
あー 失敗を悔いてるな
トコトン自分にイヤ気させよぉ
二度と繰り返したくないほどに
嫌悪しろぉ と。
(堕ちるとこまで落ちろ、そして這い上がる)
もういやだ!と思ったもん勝ち。
そのあと清く勤行すれば供養もできて
めでたしめでたし。
うむ。
独り善がりの壁打ちしなくてよかった。
( 〃▽〃)
いつも御指導ありがとうございます。
神仏への向き合い方と生き方
生き方にも身口意の行が生きる。
先生に感謝
おまけ
懺悔反省に私は
自己対話と言う内観をする。
それが、
ハイヤーセルフとか 神とか
天使や悪魔 として現れる。
自分は弱い…
もっと高い次元へと望むのなら
仏 法 僧(先人、指導者)を含む
三宝を指針にするのが良い。
三帰【さんき】
三帰依(さんきえ)とも。仏教で仏・法・僧の三宝に帰依すること。仏教徒としての根本条件であるので,これを三帰戒といい,出家・在家ともに戒を受けるとき,まず三帰を誓う。
三宝に一切をなげだしてこれにすべてをまかせ、救いを請うこと。三帰依。三帰戒。
南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧
人間の心は弱い
指針とする軸があることは
心強い。
このご縁に感謝
《仏縁ぶつえん》
自分の周りにいるのは嫌な人間ばかり。いえどんな人でも、あなたに何かを教えるために、出会わせてもらった人なのです。仏さまのご縁だと思うと、おのずと出会いが変わってきます。「私にはなぜか良い縁ばかりね。仏縁感謝」と言えるようになろう。