くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

本当の住みか

「真言は不思議なり観誦(かんじゅ)すれば無明を除く一字に千里を含み即身に法如を証す

行行として円寂にり去去として原初に入る三界は客舎の如し一心は是れ本居なり

「弘法大師「般若心経秘鍵」

 

☆現代意訳☆

「深い教えが隠されている真言は、凡夫の理解を遙かにこえたものである。

真実なる世界を観念し真言を誦すれば、迷いの根本である無明を除くことができる。一字の真言に千の意味が込められており、自身に法身如来の世界を現証ることができるのである。

さとりを求めに求めれば、完全なるさとりに至り迷いを取り去れば、本来なる仏のもとに帰ることができるのである。よって、この世は行きずりの旅の宿

私たちが本来もっている仏の心こそが、本当のすみかなのである。」

般若心経秘鍵---福田亮成著

 

 

 

 

言いたいことの半分も伝えることが出来てないし、

伝わるとも思えないし、伝わらないし、

でも伝えるし…

 

どうやって? 行動で。

そうなる…。

 

 

こちらが裁かなくとも、自滅する

法則ってそう言うものだもの。

 

 

 

行(ぎょう)には終わりはない。

やり続けるしかない。

 

 

 

空海が解くこの世の中は大日如来で溢れてる

大日如来で出来ている。

大日如来ソノモノである。

ことから読み解けば

この世に在るものはそのままでも神仏ではあるが

神仏としての役割の階層を変化していく循環にある訳で。

このままでよいとする人と

このままに留まらず変化しようとする人もいる。

この違いは内の大日如来(毘盧遮那仏)から発心

その影が大日如来(多くの神仏)として現れる。

 

餓鬼畜生が曼荼羅に描かれているのは

仏心があっても堕ちる世界が在ることを

投影として姿形を見せている

それでよいのか…と

 

我らは神仏であると言いながら、

変化を標準ととらえない人間は多い。

ここで言う変化とは自分を肯定の欲に溺れさせないこと。

だから会話が成り立たない。

 

 

 

言い訳、卑屈や謙遜のうらには傲慢や怠惰が隠れている。逆もしかり…。

真理を目指す者であるならば武士(戦士)のように歩め。

という持論がある。

自分に厳しく優しい行いのイメージはこれに限る。

最低限 自分に嘘つくな。自分を偽るな。

 

 

 

目標は高く 自信を持ちつつ 傲らずに

法に従い 師に習え

そうすれば自然に神仏との縁は太くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

人間の行動には必ず目的や目指す欲求、願望があるはず。

無いなんてナイ!

むきー いつまで保険かけてるの?

(逃げるための他人のせいにする。口実さがし。)

 

 

 

自分には欲がないから、自分を捧げる(奉仕)するって?

その行動にも目的があるよね?

それを自分の目的(願望)と言えないなんて

なんかズレテル気がするのは 私だけ?

 

 

言いたいのに言わないを選択するのも行のうち

首肩周りに不調として出る現実は

私が生きている証拠だな(笑)

 

 

 

南無大師遍照金剛

南無大師遍照金剛

南無大師遍照金剛

 

弘法大師のご縁日だな21日は…