くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

久しぶりに小学生のママをやって思った事①

只今 甥っ子たちを預かり

久しぶりに小学生のママやってます。

 

小学生はやはり、

手も目も、時間もかかりますな(-_-;)

 

靴下脱ぎっぱなし

あれもこれもやりっぱなし

 

協力をお願いしても

聞いてなかったり

気が付かなかったり

忘れちゃったりw

 

大人も同じか(笑)

 

 

保護?養護?するという責任を保護者は

自分が認識しているから

余計に手を目を、意識を向けてしまう。

 

それが、いつの間にかストレスになっているようだ。

 

 

なぜなら

自分の時間を拘束されたり、搾取されるからだ。

簡単に言うと自由を奪われている心理が働くのだと思う。

 

 

つまり、

どれだけ「自分の時間や意識を使われている」

という犠牲精神にならないかと言う事が肝になる。

 

では、どうするか。

 

それは、

自分の時間や意識を

その事だけに捉われない様にすること

 

 

相手との時間を自分も、自分が

楽しめる時間に変える とか

 

例えば

ナガラの時間のなかで、ついでに片付ける とか

 

ゆっくり相手と向き合って

再度協力を仰ぐ(一定の根気が必要)

 

ブツブツいいながらも

この可愛い時期はこの時だけだ♡

と思って慈悲満載で

ニヤニヤする とか (笑)

 

とにかく

なぜ「自分がやらなきゃいけない」を

自己犠牲的に 否定的に 考えるのではなく

自分が居て、彼らは幸せだな♡

と自分を褒めてあげる事と

義務的に思わない事。

 

保護者だと思うとどうしてもねぇ....

考えちゃうよねぇ…

 

家族、子供、とは言え

生活を共にするバディー(チーム)なのだから

無理はしない。

 

ぶっ倒れられた方が皆が困る

困らせて、自分の価値を知らせるのも手と言う事もあるが、

それで、気が付くかもわからんしな。

自分がシンドクナルダケ

 

 

そもそも

キッチリやりたい!

やってもらいたい! と思うのはエゴ。

 

言ったのに!聞いてない!イライラ!!

は、個人の価値観から発生した感情。

 

靴下がどこかにいってしまって、

そろってる靴下が無くなったとしても

鉛筆、消しゴムを置きっぱなしで無くなったと騒いでも

当日の朝に「〇〇が必要だったのに…」と言われたとしても

その結果を招いたのは 彼らの行いだと

割り切る冷静さが なかなかよいストレス回避になる。

 

 

忙しく気を使えると言う事は

元気な証拠だ。

皆が幸せならば問題なし!

 

さぁ あしたも楽しもう。