くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

「かもしれない…」は幻

日本人の根強いブロック

 

優しさ、思いやりに潜む

「我慢」と「想像」からの「思い込み」

です。

 

例えば、通りすがりの人が話しかけてきたとします。

お相手はご年配で、「こんにちは……」と声をかけて来ました。 しかし、自分は静かに読書を楽しみたかったので、話しかけには答えませんでした。 

と、した場合。

 

一般的には、こんにちは。など挨拶はするでしょう。

(一般的道徳教育上の礼儀として)

その後も自分は1人で読書に集中したかったのに、隣に居座り話しかけられ続けたらどう思います?

緊急性は感じない雑談です。

だから、話しかけには答えなかった。

つまり無視です。

 

一般的には「無視」は不親切、思いやりが無い

と言われますが、それは本当でしょうか?

無視=悪

とするのは人間の思い込み(固定観念)ではないでしょうか。観念は人間が思うであろう一般的考え方に基づいて創られたイメージですよね。

 

日本人は、共感覚が豊かです。

相手の事を思い、考えて、

「無視されたら嫌だろうな」

「お互い不快になるのはやだな」などと、

自分のやりたいことや気持ちは我慢して

相手に合わせようとします。

相手の立場に立って物事を考える事に抵抗感も

疑いもありません。

自分の気持ちより先ず相手と言う無意識が働きます。

それを、ヨシとしてきた教育や風潮があったからです。

 

この場合「ご年配」と言う関係性も大きな要因に

なったかもしれません。

 

しかし、よーく考えてみてください。

 

自分の気持ちは二番手にして、相手の立場になって考える事は意味があるのでしょうか。

 

もしかしたら、新手の詐欺かもしれないし、

会話途中で意見の相違が起こって、相手から話しかけてきたのに、相手が怒ってしまうかも知れない。

自分の傷つく事を言われてしまうかもしれない。

とは、考えないのです。

 

ご年配が話しかけてきた。寂しいのかな?可愛そうだな。会話に付き合ってあげよう。とか

 

一期一会も温かいコミュニケーションが生まれるかも!

話し合いは大事だよね❤️とか

 

ポジティブな事を相手の立場に立って考える。

 

それは、本当のお相手の気持ちなのでしょうか。

自分の想像が、相手の考えななのでしょうか。

 

 

忘れてはいけません。

自分は何がしたくて、そこに居るのか。

そうですよ。

『静かに1人で読書に集中するため』です。

 

会話を楽しみに行きましたか。?

 

 

自分の目的(やりたいこと)を、ストップさせ、

数ページ読み進む事ができたかも知れないのに、

イイトコロだったかも知れないのに、

相手の「かもしれない」(寂しいのかも)を想像し

話を合わせる。

それは、本当の優しさなのかな?

 

会話は無視でも、

挨拶にはさらっと会釈くらいも優しさだし、

ガン無視も自分の気持ちを最大限に優先した

優しさだと思う。

だって、かかわり合いがあったことでのトラブルを回避したかも知れない未来もあるからです。

(嫌々話を合わせていることがバレて怒らせてしまうかもしれない未来もあると言う事)

トラブルを回避できたなら双方にとって良いことですよね。

相手に合わせることで起こる

双方の思い込みやエゴでチグハグする

未来もあると言うことです。(予想や結果)

 

私の言う「思考癖」とはこのような事です。

行動、発言、意識 全てをエネルギー視点で考えたとき、お互いがリスクの無い良い関係性を保つにはどうするかを感じとる意識の拡張が必要なのです。

 

 

 

相手の立場になって考えるのに

自分の事は考えない

これは、現代人の大きなブロックです。

 

「かもしれない」 は かもしれない想像です。

それに惑わされて感情を呼び起こし、

一喜一憂することは無駄(幻)と言うことです。

 

 

無視=悪いこと
だと言う観念が正義(無視しちゃいケナイ)
だから違和感になるんです。
気になるんです。

この世で肉体を持って時空間を共有している

リアル(現実視化できる)があるが、
自分の世界(時間)
相手の世界(時間)
が存在している。

 

創り出せるのは自分の世界(時間)だけで
あることはお互い様で、良い悪いは存在しない。

話を合わせる合わせない事は関係ないんです。

 

合わせるから思いやりがある
とか
親切とか
そう言う考えも固定観念で、
自分が相手の要求に了承した。
と言う考え方にシフトした方が
分かりやすいのだと思います。
何かトラブルがあっても
OKしたのだからしょうがないかぁ
と割りきれる。

不満や怒りが減ります。

 

世間一般の常識(正義)とされる固定観念で

相手の行動や言葉が「どーだこーだ」は
結局は、
自分の心が創り出していて、
お相手の言動だからと言う事は関係がなく

相手の言動に影響されて

自分で創り出している感情なのですね。

 

想像できるから、

そうだろうと思えるから、
惑わされちゃう。

見方を変えると、共感できるからこそ
他者に合わせる選択も出来るのですよね。
それは、その人の選択と承諾によります。

 

観念を変えようと思ったら
究極の自分軸と他人軸
他でもそうですが、
両極端を考えてみて、
自分の居心地いい感覚や考え方を知るのは、
意識拡張によい方法だと思います。
自分が物事をどういう
視点、感覚で見ているのかが分かるので。

 

『無視と言う対応は好きな対応ではないから、私だったら会釈位返すかなぁ』

とか

『話好きだから、おじいさんの昔話付き合っちゃうなぁ』

とかね。

 

相手の要求に応える事が優しさと言う事ではないのです。受諾できない事は拒否してもよいのです。

自分が起こす行動(対応)は思考と自分の欲求(魂)とで選びとり起こした行動なのだと、認識する(受け入れる)ことです。そうすれば、全てに置いて「不満」は生まれないのです。

 


自分の事を自分に問うですね。