承認欲求と言うお話は前にも話したかな。
承認欲求と自己肯定感と
自分を、相手を、受け入れる事と
まるっと一緒にしちゃダメだよ。
承認欲求にもジャンルがある
承認欲求は承認されたい対象によって、おおむね2つのタイプに大別される。ひとつは他人から認められたいという欲求であり、もうひとつは自分の存在が理想とする自己像と重なるか、あるいはもっと単純に今の自分に満足しているか、という基準で自分自身を判断することである。前者を他者承認と呼び、後者を自己承認と呼ぶ。
①他者承認
他人から求められていると思えると感じる、価値があると思われていると思う事で自分を確立(自分で自分を認める)させる人。自分の存在は他者があってこそ保たれると思っている。人の役に立つことが生き甲斐であり、そうあるべきだと思っている。目に見えた事で表現したい、されたい。(他人の自分への評価が自分の評価)
②自己承認(頑張る(追い求める)事がいい事だと思っている人)
こうなりたいと思う自分を創りあげ、理想を保つために頑張り無理をする。時には自分自身を偽り、時には無理している事にも気が付かない。頑張る事が美徳だとも思い込みやすい。(自分で自分を認める為に欲求を求め続ける)
③自己承認(自分で自分を認めている)
物事にたいして、自分の要求を自己完結できている
この分類の場合
現代人が陥りやすく、ハマると自分が分からなくなるのが①と②です。
①は何が悪いかというと
自分の存在自体を他人の評価やイメージに委ねているところです。
他者が自分を優しいと思うから、自分は優しい。
他者が優しくしてくれているから、自分は愛されている。好かれている。
他者が優しくしてくれているから、自分はココに居ていいのだ。
他者が優しくしてくれているから、自分は存在価値がある。
という具合に、自分と言う人間が、他者の評価が良ければ、対応が良ければ、受け入れられているから自分は価値があり必要とされている。と思っている事。
これは、肯定的な他者がいないと自分と言う存在を受け入れられないという沼にはまります。受け入れてくれる他者が居ないと自己肯定感が得られず、疲弊し、自らの幸せから遠のく思考パターンです。
「優しく」を「嫌われて」にかえたらどうでしょう。
自分の事を全否定しています。
自分が他者に自分の存在意義(生きる事)を委ねている。託してしまっている思考であり、自分の思考癖で招いている悩みであるにも関わらず、その事に気が付かず、受け入れてもらえない事、認めてもらえない事を不満に思い、疑りや悲しみにかわります。(劣等感無力感)
自分で自分の苦しみを創り出しているのに。他者が悪いと思う思考になります。
自分が自分で肯定し、存在を認めなければ、愛(自愛)さなければ、人は幸せになどなりません。
他者は他者です。
いくら好きでも、愛していても、家族であろうと、血のつながりがあろうと
個は個であり、他者です。その他者に自分の存在意義を委ねる思考は、奴隷や、洗脳された者と同じです。 個性がありません。
②の場合
こうなりたいから、理想の自分になる為に努力する。
頑張っても出来ないかもしれない。自分には苦手があるが、頑張る事が楽しい!と思えるならば挑戦すればいいのです。それは前向きですから。
しかし、苦しいのに、今の自分では満足いかないと言わんばかりに、苦しい仕事をつづけ、化粧をし、着飾り、ハイレベルな生活を望む。それは見栄です。エゴです。
過剰な美容整形手術を繰り返す事もこれにあたります。
バリバリ仕事のできる人になりたいと
勉強を頑張る 仕事を頑張る
だけど、苦手な事も認めず、苦手な事も分からず、自己満足の為(強がり)助けも得ず、1人で頑張る。仕事も勉強も、苦手を認められず手につかずに今の生活に追われる。
だけど、頑張る。
その生活が楽しければいいですよ。
また、頑張れば何でもできると、今の自分を認めず、「もっとできる」「もっとやれる」「自分は凄いはず」「今にみてろ!」と、今以上の評価された自分を追い求め、それが本当の自分だと信じてやまない。
これも、一見いい事の様に聞こえるけれども。
こんな自分は違うんだ!と否定している心理があってはいかんのよ。
こうなりたい自分がある事は素敵な事だと思う。
だけど、今の自分は違う!と否定していてはダメなのよ
どーせ自分なんかと思いながら、こうなりたい自分を創ろうなんて無理なのよ。
どーせ自分なんかと思っている潜在意識の念が強いから、
どーせ…。が現実になっちゃうし、
どーせ…。はぬぐい去らない。
あー残念。
どうして、自分の理想を願望を苦しいまでも追い求めるのか?
自己承認欲求の根底にも『他者からみた評価される自分像』があるからです。
ここまで出来たら自分も満足=世間からみたらまーまーな評価だから自分も満足
という心理が潜むからです。
美容整形を繰り返す人の心理には、自分は美しくありたい=他者から見ても美しい人 という思いがあります。
この心理の場合、自分が許可(満足)できる事は、他者から見た自分に自信がある時(持てる時)だけなのです。
①と②に思い当たる人は、
他者基準に自分の価値や評価を得ようと思う思考に気づき、早急に自立すべきです。
自分がどうありたいか、どう思いたいか、自分の基準で自分が評価し、受け入れていればそれで、本来の人間は満足だったはずなのです。
他者からどう思われたいか、どう思われているかと他者基準の思考が優位に立ってしまったから、その思考の魔力に騙されて、本来の人間の魂は身動きが取れなくなっています。
他者承認欲求と自己承認欲求が満たされると、『自分は求められている』『自分は役に立つ』『自分は素晴らしい』と言う自己肯定感が上がります。
これは、思考の闇深い罠です。
この罠に気が付くには自分を内観し、どこの時点で他者視点に切り替わるかの、『思考の癖』を知る事です。
この続きは後日。
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