科学は詐欺師…という言葉を耳にした(目にした)
占星術やカバラ生命の樹で導き出すとそうなるらしい。
(表現の仕方は違うけど)
もともと目視では無いものを「ある」とするから
迷いや苦が生じるからだ。
精神意識目線で云うなら
ないの中にあるが充満している状態である
だけでいいのであって、
形にする必要はないのだ。
しかし、人間は形で捉え理解することに
学びを見つけた。
意図して無いモノの中に在る
を創り出せるのだ。
言葉と数字(形)で造るこの世の中のモノは在るのに無い虚像ということになる。
だけど、在ることになる。幻想を見ている。
恐ろしいことに
仏陀の説く
仏教経典でも同じことを説いている。
宇宙の理には
(宇宙の法とか森羅万象とか…)
物理的に解くのも
文学的に解くのも
感覚的に解くのも
肉体で体感して解くのも
イロイロあるけれど、
どれも同じことを言っていて、
結局同じところに行着く…
だから 遅いか早いかの差は
本人のやる気次第と未知(不確定)への
信頼でどうにでもなる。
幸運や不運も同じことだ。
目の前に見えるものを言葉にする。リンゴ………。そうやって話たれた言葉は、今度は聞く言葉となって相手のもとに届れられる。言葉は知覚像の表と裏を結びつけ、物を一つの概念的出来事として時空上に浮上させる。言葉は初めから表裏を併せ持っているが、知覚にはそれはない。
by半田広宣(ヌーソロジー)
言葉で念を理解するが実像ではない。
言葉だけ聞き
創作された形はハリボテで終わる。
改めて聞くと
先人たちの言葉はしっくり来る
経験値と質の差かな…
AIと人間の違いと同じだな。
構成は同じ。
記事を掲載していただいた。
彼ら(先生方先輩方)はタイミングを見ている。
相手のスキル(本性)がどの程度かは、
コミュニケーションがなければ伝わらない。
察していても、確認ができなければ図れない。
「対機説法と待つこと」 | 秩父曼荼羅小屋通信 ~峯龍の求道日記~
意は隠していても漏れるのよ。