哲学✖️物理です。
⚫︎人間は始源(アルケー)です
人間の世界はヌーソロジーの反転認識から見ると宇宙の始まりです。光子からクォークの生成、レプトンの生成といった素粒子生成の場所で、人間の無意識が活動しています。
⚫︎フェルミオンとボゾンの本質って何?
フェルミオンはパウリの排他原理に従います。これは、同じ量子状態に2つ以上のフェルミオンが存在することができないという原理です。
一方、ボゾンはボーズ=アインシュタイン統計に従うとされます。これは、同じ量子状態に無数のボゾンが存在することができるという性質です。
このことから、垂質次元は無数の垂子次元によって作られていると考えることができます。
これは「自己」いう認識と無数の物の認識の関係に対応しています。自分の周囲に無数の物があり、その認識によって、自分の存在が担保されているということです。
しかし、それとは逆の関係もあります。それは無数の自己の存在によって一つの物の存在が担保されているという関係です。実は、一つの物は無数の人間による認識がなければ成り立ちません。
こうした、物と人間の間の「一」と「多」の捩れの関係と、ボゾンとフェルミオンが作る空間構造の関係は密接に対応しているものとしてヌーソロジーでは考えるのです。
一つは多数のために
多数は一つのために ってヤツですか。
一つも 多数も くくりを変えれば1だからね。
1と対等に語り合えるのは多数ではなくて0
0は1にもなるが、多数にもなる。
1は個性があるが、0は無個性である
0は無個性ではあるが1にもなるので個性を含んでいる。
1は孤独であるが多数でもあるので孤独にはなれない。
多数は多くではあるが0でもあるので多とする数にも存在でも在らず。
学問の世界も
物理 科学と哲学は融合するしかない。