くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

ツラツラと…連携について

誰しも宇宙の1部品、1ピースにすぎない

 

 

上司成るものは、時に部下が円滑に業務をこなし、ソノサキも縁が続くように、他の部署や他社との和を図る根回し役として、常に中和をおこなう習慣性を要するのではないかと思う。

なぜ、習慣性としたか。

自分の為だけではなく犠牲心もなく、当たり前のごとく他者の利も考え、組織(世の中)の為にもなる。相互の円滑循環を通常として考え動ける人間である者と定義したからである。

 

部下はそのような気遣いも知らずに

恩恵を受けている…。

と、いう場面を見たことがある。

当たり前が、当たり前で無いことは

当たり前ではなかった事を知った時に

気がつくもので…。

 

例え) いつもキレイな公園は近所のおじさんが掃除してくれていたからだった…とか

タイミング良く座れる椅子は、タイミング良く降りてくれる先客との阿吽の連携があった…とか

 

 

 

上司個人の思いだけでは、組織はうまく働かない。

部下の考え方だけで行動させてもうまくない。

本来、部下の考え方だけで動こうなんて論外でしょ(?)

 

ピラミッド型で現す組織図は区切られた層だけを見てお役をこなしているわけではなくて、上に位置するモノは

下をも包括する視点と軸意識が必要なのだ。

(さらに外部への気配りと領域が広がる)

中間層は、上も下も意識するわけだ。

(中間管理職大変よね…のソレ)

蛇行する波の調整などは中間部の役割に成りがち。

図をイメージすれば解りやすいだろう。

だから、上の話も聞いて、下の話も聞いて…。

 

だからといって、中間層だけが辛いと言うのも違うだろう。責任の重さや配慮の領域なども加味すれば上も下もお役としての質量は変わらないはず。

(お役を均等にできていればね…)

 

組織を良好に動かすには上の者が組織の役割を理解しているだけでも万全ではないわけだ。

部下は部下なりに上部や同僚を思いやる気持ちが必要になる。

 

いくら上部の運営が上手くても、部下の意識レベル(理解力、協力)が低ければ、上部の独りよがりと言われるか、デキナイヒトと思われてしまう。

外部に部下の意見だけが独り歩きしてみれば、分母の多いその言葉は脅威を持ち、アリモシナイ非事実が事実のように独り歩きする。

 

そうさせない誠意も上の者の技量とも言えるわけだが、数多の人間意思を1人一人コントロール出来るわけもなく。数多の人間が集まれば不本意に、どこでどのように勘違いして変異するか解らない。

コントロールや理解してもらおうと思うことの方が無謀となる。(説明しても解ってはもらえない場合が多い)

して、無知なものほど筋を見余り自由(意思)と言う権利を発動されるわけだ。

 

自由と言う権利を行使するのであれば、個人個人が自分の道理(筋道)を正し、述べるられるようにするのが礼儀かと思う。

筋道を持たナイものほど

隠匿を好み、陰徳がって、腹を見せない。

多勢の煽りに乗って息巻いてみたり。

(赤信号みんなで渡ればナントヤラ心理)

自分の行いに責任持てと言われることが怖いはず。

(自分が良ければいい心理)

 

 

そんなものが 筋道を立てて説明できて、道理があって、義理も立ててる者をどうにか出来るわけもないし、越えることもできない。

神仏様はお見通し とか

お天道様は観ているよ とか

神は全て知っている とか

言うヤツ。

因果応報です。

 

つまり、自分の役割を理解して、立場をわきまえられる者は物事の実態を知ることになるので、隠された偽りに騙される事もなく、差し支えがない事は無いものと同じなのである。(平常心)

いくら失敗しても、バカだったと悔いて、素直に非を認め修繕し嘘なく生きる者。組織(世の中)のルールと心情とのバランスと妥協を探れる者は自然と強くなる。

(誠意…。)

 

自分の立ち位置や状況を見誤り、智慧の整いかたが追い付かず、自己評価が過剰に高い者は陥りがちだ。

(高く見せたがる者も同じ)

これは上だの下だの関係なくそうなのだ。

人としてそうなのだ。

 

また、ピラミッド型組織上部にいながらも責任を負いたくない者は自ら下がった考え方正当化する。

それを下部が真似ると言う事は、筋道もあったもんじゃない… 責任果たせ。

(組織の常識が其なら其で構わんが発展を感じられない)

 

 

個人単体の内側

精神意識の学びでも同じことが言える。

 

虚像を虚だとは知らずに造り上げた自己理想の自分に負けた自己本意な人間は、自分の弱さと向き合わない限り、どこへ行ったとしても同じ失敗を繰り返す。

 

会社でも グループでも 町でも、日本でも、地球でも、規模は関係ない。 

これは法則だから。

 

だから人間は同じ失敗を繰り返す。

 

それを病気のせいにする

他人のせいにする

社会のせいにする

 

『◯◯のせい』は建前や方便であるのだから、

自己理解出来る者(自己の陰陽と向き合う決意のある人)のみが使える技なのである。

 

それ意外の人間が使う『◯◯のせい(為)』は偽りであり、逃げである。

 

例題) 2年のウチに1回は役員をおやりましょうのルールをガン治療中なので今年はPTA活動はできません。と言う断りが使えるのは、頑張ればこなせるボランティア活動も、今は心身共に体力の余裕と時間が必要なので皆様に甘えさせて頂きたいです。と言う謙虚さと陰陽をわかってる者が使える技。体力回復して心身に余裕が出てから出来る事を進んでやれれば善行でしょう。 

ただ、めんどくさいからボランティアしません。馬鹿馬鹿しい…という考えの者が病気を理由に組織のルールを無視するのは悪行です。

また、断った方もやると言ってやらないは嘘になり悪行。デキナイナラじゃーどうするを考える事で回避される。

 

 

何かのせい(為) なんて事は、

この世に1つもないのです。

 

ざ、手書き(笑)
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見えにくいので

アップ再投稿

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おまけ

 

環境、心身ともに

清く正しく美しく

 

例えばさー 

ファーストインスピレーション

 

身なりのキレイな人と

小汚ない人と、どちらと同席してみたい?

 

ゆったりした話し方の人と

セカセカした話し方の人と、どちらとお話してみたい?

 

話の内容に一貫性のある人と

話の内容が二転三転する人と、どちらと行動してみたい?

 

任せた仕事をテンポ良くこなす人と

任せた仕事を忘れちゃう人、どちらと仕事してみたい?

 

 

 

どちらが信頼できる人だと感じるでしょうか。

 

 

 

人間意識の力をナメんなよ😊