くろねこくぅまんplus

浸潤性小葉がんになった。そしてスピリチュアルに目覚めた。手術の事とか体の事とか、誰かの「気づき」になればいいな。

鼓舞する

 

 

こ‐ぶ【鼓舞】

[名](スル)《鼓つづみを打ち、舞まいをまう意から》大いに励まし気持ちを奮いたたせること。勢いづけること。鼓吹こすい。「士気を鼓舞する」

[類語]挑発・鼓吹・扇動・入れ知恵・鼓する・励ます・力付ける・引き立てる・元気付ける・螺子ねじを巻く・発破をかける・活を入れる・督励・鞭撻・激励・声援

 

あー コレコレ。

こんな感じ。 

太鼓たたいて舞ってるのかぁ…なるほどね。

 

正直時々虚しくて嫌になることがある。

でも、やりましょう💪 お役だから。

先日、占ってもらったら私の生き方が

天命通りだってさ。

それは良かった(?)なのか… 複雑。

 

私の訴え方のスタイルは常にファイティングポーズをとっていそうなイメージ (そう言われるし)

 

やらざるを得ないからこうなる

そんな感じなのです。

ここに自分の意思(?)というのはあまりなく

意志で動いている そう言う感じです。

 

日本人はとくに強気なことを言って

相手を傷つけて

戦いたくないし、争いたくないし、

嫌な思いもしたくないし、

傷付きたくもないでしょう。

(私もそうです)

誰かがそんな役回りをやらなきゃいけないとなったら、誰がやりますか?

 

ただ文句がいいたくて、

バカにしたくて、優位に立ちたくて、

欲を満たす為だけに

偉そうに語ってる訳ではありません。

(そんな事は神仏が許さんよ)

 

私の魂からすると鏡の向こうのモノたちの

心(性根)が自我欲求に操られている

人類のあるべき精神性からズレている

と、思うのでしょう。

 

人をバカにする言い方やめろ とか

煽る言い方が… とか

よくいわれます。 承知です。

 

私という存在より

魂が奮い立たせるのです。

 

 

お前らはそんなもんか

真我を発動させろ

エゴの幻想を打ち破れ

自分を己で超えてこい!

 

 

私の魂は

鏡の向こう側のモノを

蔑み見ているわけでもなく

悟りへの信頼があるから行動できる

そんな感じなのです。

 

怖れていてはいけない

もっと高く もっと深く

志ある者の心を さらに高く深く広く

意識拡張せよ! と

 

魂が言ってくる… (ーдー)

 

 

バカにされている、不快感だった

と思うのであれば、

私という鏡に映った

自我欲求(ラクしか求めない思考)の壁ですね。

 

 

人類の精神意識という能力を侮ってはいけない。

フツーに生きていたら気がつかない。

それほど私たち人間は人間という生き物を侮っている。

 

習慣性や、環境、生い立ち、教育で意識は

無意識レベルでコントロールされている。

森羅万象の理がわからなくなっている。

 

 

心底にこの意味がわかれば

誰からの挑発も否定的な言葉の裏側も

わかってくるだろう。

 

その為には私(自分)という存在は自分(私)の監視を怠ってはならない。

 

 

階級も序列も役職も組織型ヒエラルキーも

人生の苦楽を知る技法(方法)でしかなく

その構図に本質があるわけではない。

 

あなたが社長で

私は部下で

あなたが貴族で

私が奴隷 

(その逆もしかり)は

方法論のなかの役割でしかない。

 

その役回りでいかに悟か。

それだけなのだ。

 

その役回りの中に縦の戒律 横の戒律

というルール(障害)があり

柔軟にどう乗り越えるか どうあしらうか

が魂(心)の訓練になるのだと思う。

 

全てオールOKの世界はカオスなだけだ。

だから憤り、怒り、不信、不満が起こる。

 

 

 

八百万の神々の国に

なぜ仏教を普及させたか…

政治的思惑もあるだろうが、

それも神仏の計らい

 

仏道の法と戒律があれば、

自由思想と欲がカオスになりすぎた

人間の心が調和できるだろうと

考えたからではないかと私は思っている。

 

 

宗教も教えも神仏も物理科学も

全て人間が造り出した産物

人間が造り出した産物を

人間の欲でかき乱し、

神仏の恩恵や科学技術を欲につかいだした。

自欲で動き出した宗教や組織、グループは

1ヶ所が得する流れとなって

不満が現れ

怒りとなり

悪いイメージを与えてきた。

 

 

こんな悪しき考えにいたる心を造った

根元に戻り一人一人が心を正すために

使うのが、

経典であり法則であり、先人の智慧であり

方程式であり理論であり、

組織でありグループであり

国、地域、学校、家族、友人、

である。

 

学問だろうと 現場であろうと

枠組みとする空間(場)と

流れとなる時間(関係性)という型(戒律)に

縛られているのが私たち生命。

 

生命である私たちは

自分の存在という特性と

内在された複雑極まりない因果を

理して解する時期に来ている。